top of page
魅力ある清水を創る会
みのわ神社001.png

ぶらっと清水【第20回】フェルケール博物館を探検!(2)/ Exploring the Verkehr Museum: A Journey into the History of Shimizu Port(2)

  • 執筆者の写真: 山内 真一
    山内 真一
  • 5月16日
  • 読了時間: 15分







<今日のお散歩まとめ>


  • フェルケール博物館の館内展示を見学。

  • 入口すぐ左手に、三保半島沖から引き上げられた弁才船の本物の錨を展示。100年以上海中にあったもの。

  • 錨は叩いて造られたもので、表面のボコボコはその跡。不純物が除かれ、錆びにくい高純度の鉄。

  • 錨を使用していた弁才船は、全長20メートル以上、1200トンもの貨物を運ぶ大型木造船。

  • 錨の前には缶詰の蓋を閉じる機械「シーマー」を展示。全国でも希少で、体験も可能。

  • 展示室1には鈴木商店(現・鈴与グループ)の屋号「山三与」のタペストリーを展示。

  • 展示室の天井は船の裏側をイメージした湾曲した構造で、清水の海文化を表現。

  • 清水の町並みを再現した大型模型を展示。静岡市提供の航空写真を元に作成。

  • 模型には清水港の航路が示されており、博物館前の「波止場」が港の近代化の起点だったことがわかる。

  • 「波止場」という地名は現存しないが、バス停名「波止場フェルケール博物館」として名残がある。


  • Tour of the interior exhibits at the Verkehr Museum.

  • On the left near the entrance, there's a real anchor from a bezaisen ship, retrieved off Miho Peninsula, over 100 years old.

  • The anchor was hand-forged, not cast, resulting in a bumpy texture that indicates high-purity, rust-resistant iron.

  • The ships using such anchors were large wooden vessels over 20 meters long, capable of carrying 1,200 tons of cargo.

  • In front of the anchor, a rare “seamer” machine for sealing cans is displayed; only a few remain in Japan and visitors can try making toy cans.

  • Exhibit Room 1 features a large tapestry with “Yamasanyo,” the emblem of Suzuki Shoten (now Suzuyo Group), symbolizing Mt. Fuji and Miho.

  • The ceiling of the room mimics the underside of a ship, reflecting Shimizu’s maritime culture.

  • A large model of Shimizu's townscape is displayed, created from aerial photos provided by Shizuoka City.

  • The model highlights the routes through Shimizu Port and shows how the museum’s current location was the heart of port modernization.

  • While “Hatoba” (wharf) is no longer an official district name, it remains in the bus stop name “Hatoba Verkehr Museum.”


【提供】



【ぶらっと清水 第20回】


ぶらっとフェルケール博物館!(2)

波音ちゃん:さあ、今週もフェルケール博物館の魅力を深掘りしていきますよ!先週は外観や歴史についてお話いただきましたが、今日は館内の展示物を見て回りましょう。いま、私たちは受付を少し過ぎたあたりにいます。どこから見ましょうか?


椿原さん:では、左手をご覧ください。あの大きな鉄の塊、見えますか?先が朝顔のように四つに分かれた、巨大な錨(いかり)です。三保半島の先端から引き上げられた、実際に使われていた弁才船の錨ですよ。


波音ちゃん:わあ、ほんとに大きいですね!これは100年以上も海に沈んでいたんですか?


椿原さん:ええ、そうなんです。この表面のボコボコ、劣化じゃなくて、鉄を叩いて成形した跡なんですよ。叩くことで不純物が除かれ、強くて長持ちする鉄になります。日本刀と同じ理屈ですね。


波音ちゃん:刀と同じ技法で…だから100年も持つんですね!ところで、こんな大きな錨を使うってことは、相当大きな船だったんですか?


椿原さん:はい、最大で800石、今でいうと約1200トンの弁才船が清水港に入ってきたそうです。船の長さは20メートルほど、幅も7~8メートルありました。


波音ちゃん:昔の木造船がそんなに大きかったとは驚きです!あ、ところでその錨の手前にある缶詰を作る機械、何ですか?


椿原さん:あれは「シーマー」といって、缶詰の蓋を締める機械です。真空にはなりませんが、今では貴重な存在。博物館で持ち込んだ缶を使って、実際に模擬体験もできますよ。


波音ちゃん:それは楽しそう!今度ぜひ試してみたいです。さあ、次は展示室に行きましょう。あ、右手に大きなタペストリーが飾ってありますね?


椿原さん:これは鈴木商店の法被をモチーフにしたもので、「山三与(やまさんよ)」という屋号のマークです。山は富士山、三は三保や川、与は与平の与ですね。


波音ちゃん:ロゴにも地域の自然や人の名前が込められているんですね。では展示室1に入りましょう!


椿原さん:展示室1は、江戸時代から現代までの清水の歴史を紹介しています。天井を見てください、船の構造を逆さにしたようなデザインなんです。


波音ちゃん:ほんとだ!展示物だけじゃなくて建物にもストーリーがあるんですね。中央にある清水港の模型もすごくリアルです!


椿原さん:あれは静岡市から提供された航空写真を元に作られています。清水港の近代化がこの博物館前から始まったことが、模型からも分かるんですよ。


波音ちゃん:なるほど、「波止場」って地名もその名残なんですね。横浜とも関係があるなんて、歴史が繋がっているんですね!



【観光案内ガイド風】

ようこそ!清水へ!

本日はフェルケール博物館にご案内いたします。前回は建物の外観やその歴史についてお話しましたが、今日は一歩踏み込んで、館内の展示をご一緒に見て回りましょう。

さあ、私たちは今、入口を通ってすぐの受付付近に立っています。まず最初にご注目いただきたいのが、左手にある大きな鉄の塊です。よく見ると先端が四つに分かれていて、まるで朝顔のような形をしています。これは、かつて清水港に出入りしていた弁才船という大型木造船に使われていた本物の錨なんです。なんと、三保半島の沖合から引き上げられたもので、100年以上も海中にあったにもかかわらず、今もその姿を留めています。

表面がボコボコしているのは、叩いて成形した証。今のように型に流し込む鋳造ではなく、一つ一つ手作業で叩いて造られたんです。その過程で不純物が除かれ、非常に純度の高い鉄となり、長い年月海に沈んでいても錆びなかったんですね。まるで日本刀を打つような技術です。

この錨を使っていた弁才船の中には、全長20メートルを超え、1200トンもの貨物を運ぶことができた大型船もありました。当時としては非常に大きな船だったんですよ。

さて、錨の前にはもう一つ珍しい展示があります。「シーマー」と呼ばれる缶詰の蓋を閉じるための機械です。現存しているのは全国でも数えるほどで、子供たちの卒業記念などに使われることもあります。簡単な手続きでオリジナル缶詰を作る体験もできるので、ぜひ試してみてください。

次に、展示室1に進みましょう。右手には「山三与」と書かれた大きなタペストリーが目を引きます。これは鈴与グループの前身、鈴木商店が使っていた屋号のマークで、富士山や三保の風景、そして創業者・与平の名に由来しています。

展示室の天井を見上げてください。湾曲した木材が並ぶその形、どこか船の骨組みを思わせませんか?実はこれ、船の裏側をイメージしたデザインなんです。細部にまで清水の海の文化が感じられる造りですね。

そして展示室中央には、清水の町並みを再現した巨大な模型があります。これは静岡市から提供された航空写真を元に作られており、清水港の近代化がこの博物館前の「波止場」から始まったことを物語っています。かつてはこのあたりが清水港の中心であり、航路の要だったのです。

今では「波止場」という地名は使われていませんが、博物館前のバス停には「波止場フェルケール博物館」という名が残っています。港町の風情を伝えるこの響き、ぜひ覚えて帰ってくださいね。



Welcome to Shimizu!

Today, I'll be guiding you through the fascinating exhibits of the Verkehr Museum. Last time, we explored the museum's architecture and its historical significance. Today, let’s step inside and delve into the stories behind the artifacts on display.

We’re now just past the entrance and reception area. Look to your left—do you see that massive iron object? It looks almost like a giant iron flower with four spreading arms. This is an actual anchor from a large wooden trading ship known as a "bezaisen" that used to come into Shimizu Port. It was recovered from the seabed near the Miho Peninsula and is over 100 years old!

You might notice the rough, uneven surface. That texture isn't due to decay—it's a mark of craftsmanship. This anchor was forged by hand, hammered into shape rather than cast in a mold. This process expelled impurities from the iron, creating a material so strong and pure that it resisted rusting even after decades underwater. It’s similar to how traditional Japanese swords were made.

These types of anchors were used on ships capable of carrying up to 1,200 tons of cargo—huge vessels for their time, measuring up to 25 meters in length and 8 meters in width.

Just in front of the anchor, there’s another rare item: a "seamer," a machine used to seal canned goods. Only a few of these are still around today. Although it doesn’t vacuum-seal, it can be used to create toy cans, especially popular as graduation souvenirs for kids. With a quick visit to the front desk, you can try it out yourself.

Now, let’s move into Exhibit Room 1. On your right, you’ll see a large tapestry with the characters for “Yamasanyo.” This was the trademark of Suzuki Shoten, the predecessor of today’s Suzuyo Group. The design symbolizes Mount Fuji, the local Miho area, and includes the name “Yohei,” the founder.

Look up at the ceiling—it’s curved, with beams that resemble the ribs of a ship. This isn’t just a design choice; it’s meant to evoke the inside of an overturned boat, emphasizing the museum's maritime roots.

In the center of the room, there's a detailed model of Shimizu and its port. It was created from aerial photographs provided by the city of Shizuoka. This model shows the heart of the port's modernization—right here, in front of where the museum now stands. You can even see shipping routes converging at this historic location.

Although the name “Hatoba” (Wharf) isn’t commonly used for this area today, the bus stop outside still bears the name “Hatoba Verkehr Museum,” a reminder of the site's pivotal role in Shimizu’s port history. It's a name that carries the charm and heritage of a classic port town—something we hope will always be remembered.



【放送内容のテキスト文面】


さあ、今週も引き続きフェルケール博物館の詳しい解説を椿原さんにしていただきます。先週は、外観や装飾のこだわりフェルケール博物館の歴史などを教えていただきました。今日はいよいよ、館内の展示物について一つ一つ見ていきましょう。

今、私達は、入口を入ってすぐ受付を少し過ぎたあたりにいます。

どこから見ていきましょうか。


はい。

受付入ってきたところで、左側ですけども、大きな鉄の塊っていうか、棒が見えますか?

先が四つにわかれて朝顔のようになってますけども、はい、これ5メーターぐらい、5メーター4メーターぐらいありますけども。

これよく言う千石船って言いますかね、弁才船(べざいせん)とも言いますけども、その錨です。

これは、三保半島の先端から引き上げられたものなんですよ。


かなり大きな錨ですね。

三保で見つかったということですが、これって昔、実際に使われていた本物ですか。


もう100年以上たった本物です。

よくよく見てますとね、ボコボコに表面がボコボコになってるのわかりますか。

これ、なぜボコボコになってるかというと、叩いて作ってるんですよ。叩いた後です。


江戸から明治にかけてのものだと思うんですけども、一本の棒を、先に作っておいて、火で熱して、先端を他の鉄で切れ目を入れて、グーッと曲げてこの形を作ってるんですよね。鋳造といって、型に鉄を流してつくったものじゃないんですね。


ボコボコした跡は劣化によるものじゃなくて、叩いて作った跡なんですか。

現代で使われている錨は型に鉄をを流して作るのが多いと思うので、表面が綺麗なもののイメージしかありませんでした。

こんなに大きなものを叩いて作っていたとは驚きですね。

丁寧に叩いて成形していくのはかなりの労力だと思いますが、叩いて作るメリットというのどういったところにあるんでしょうか。


叩いて作っているので、不純物がだんだんだんだん外に出ていくんで、それで綺麗なっていうか、上等な鉄が残って丈夫な鉄になってるんだから、何十年も海の中に潜っていたんですけども、錆びてなくなるってことはなかったっていうことなんですね。


鉄の純粋さっていいますかね、それはちょっと違うんですけども、作り方とすると刀の作り方に似てるんですよ。

刀も叩くことによって作りますけども、あれ、叩くことによって不純物が外に出て、いい鉄になるという、そういったものです。

実際に清水の港に入ってきた戦国の船、弁才船(べざいせん)で使われていた碇です。大きいですね。


なるほど、刀も叩いて作るという方法でよく知られていますが、鉄を叩くことで、純度が上がって、強度が上がるという効果もあるんですか。

しかしそうは言っても、まさか、こんな大きなものも叩いて作っていたとは思いませんでした。

叩いて作ったからこそ100年も海の中に沈んでいたのに、こんなに綺麗に形が残っているんですね。

これは時間と労力をかける甲斐がありますね。

ちなみに、こんなに大きな錨をつけていたという船は、やっぱりそれなりの大きな船だったのでしょうか。

大体どれぐらいの規模の船が、ここ清水港に入っていたんですか。


清水の港に入ってきた弁才船で一番大きかったのが、800石って言いますね。

今で言ったら1200 tくらいの船が入ってきたってことなんですけども、その船に使ってたのがおそらくこの錨だと思いますので、全長が20メーターか25メーターぐらい、20メーターぐらいかな。そんくらいの船だったと思いますね。

幅がおそらくは7メーターとか8メーターとか、それくらいだと思います。

そういう木造船に使われていたもので、これが一つか二つかね、積んでいたと思いますね。


1200 tを運べる船は、当時としたらかなり大型の船だったんですね。

ところで、少し通り過ぎてしまいましたが、この錨の手前のところに缶詰が作れる機械が置いてあるのが気になってしまったんですけど、これで缶詰が作れるんですか。


これ、シーマーって言うんですけども、缶詰の蓋を接着するための機械です。

ただし、真空にはなりません。

今、博物館でも二つしかなくて、製造してるものはないっていうものですから、結構これ貴重なんですよね。


触らないでくださいってなってるんですけども、あの、自分たちたちで持ってきたものを、受付の方に頼んで、空き缶といいますかね、中に物を入れてぐるぐるぐるぐる回すと、おもちゃの缶詰ができるっていう優れものです。

これ、幼稚園とか小学校とかの卒業記念に、まとまって作りたいと、お問い合わせがくることありますのでね、これぜひやってみてください。


かなり貴重なものとのことですが、まだ現役で使える機械なんですか。

博物館で保管されている貴重な機械で、オリジナルで缶詰が作れるなんて、ちょっと面白そうですね。

今度、缶詰を持ってきてやってもらいたいです。

では、展示室の方へ進んでいきましょう。

右手に大きなタペストリーが飾られていますね。


何かのロゴがデザインされてますが、これは何でしょうか。


これは、この場所にあった鈴木商店さんで使われていた法被を基にして作ったタペストリーになります。山三与(やまさんよ)というのは、鈴木洋平商店、今の鈴与グループの前身となる鈴木商店が使っていた屋号のデザインですね。

いろいろ意味は言われてるんですけども、山は富士山、三は川であったりとか三保であったりとかいいますけども、それに与平の与ついて、山三与(やまさんよ)というマークになってます。


漢数字の三に、山のような傘のようなものがかぶさり、その上に鈴与の与の文字が載っている。このロゴのようなものは山三与と言われる鈴与創業当時に使われていたマークだったんですね。

さあ、展示室1というところに入ってまいりました。

見渡してみると、いろいろ模型などが展示されていますね。

椿原さん、こちらのお部屋の注目ポイントはどのなところでしょうか。


まず常設展示は展示室1 2 3とわかれてるんですけども、こちらの展示室1については、江戸時代から現在までの清水の歴史を紹介をしています。

最初に見ていただきたいのは、この室内の風景っていいますかね、天井曲がっておりますのでしょう?

何でしょう、骨のようなものが湾曲して出ておりますけども、これは船の構造といいますか、船を逆さにした形を表現をしています。

建物もね、ちょっと見ていただきたいなっていうふうに思いますね。


おお!展示室入ってきて、まず展示物に目が行きがちですが、建物の形にも意味があるですね。

天井を見上げてみると、確かに少し変わった形をしています。

そんなところにも、海にまつわるこだわりがあるなんて、言われてみないと見落としてしまいそうですね。


はい。

ちょっと一番最初にですね、真ん中に清水の港の風景を模型にしてありますので、ここから見ていただきたいと思います。


清水の町並みを一望できる波形ですね。

この写真を実際に空から撮影しているんですか。


こちらは5年ほど前に、常設展示の一部リニューアルを行うなっているんですけども、そのときにですね、静岡市さんから航空写真をいただくことができまして、はい、ここにも、模型製作協力:静岡市っていうふうに書いてあるんですけど、航空写真をいただいて、それで使っています。

実を言うと、1枚の航空写真が本当に数センチ四方の小さいものだそうです。

それを全て、くっつけて、個人情報にも抵触しないように、解像度も落として、それでこれに使わせていただいてます。

静岡市さんありがとうございます。


たくさんの航空写真が集まって、この大きな模型ができているんですね。

この展示からはどんなことがわかるんでしょうか。


はい、あの中央部分ですね。

博物館の部分には、旗が立ってます。

こちらがフェルケール博物館の位置になりますね。

先ほど言いましたように博物館の前ですけども、ちょっと今、この写真では、山のように何か土が持ったようになっておりますけども、その部分が港の近代化が一番最初に行われた波止場の跡になります。

ですので、今、清水の湾の中に、この点々で船が動く航路が描かれておりますけども、その航路が全て箱物管の前に集まってますよね。

これは近代化の始まりが、ここから起こったっていうことの証になりますよね。


前回、50年以上前の清水港の一番栄えていた場所に、このフェルケール博物館が作られたというお話がありましたね。


確かにこの模型を見ると、博物館の辺りに波止場があったような跡が何となくわかるような気がします。

航路の線を見ても、やはりこの博物館が、当時の清水港の中心であったということがよくわかる展示ですね。


今、あの博物館の前に波止場っていう地名はなくなっちゃったんですけども、バス停の名前が波止場フェルケール博物館ていう、名前として残ってるんですけども。

その名前っていいますかね、ここが港の近代化の始まりですので、ぜひ何らかの形でね、残していっていただきたいと思いますよね。

特に波止場っていう響き、なかなかいいじゃないですか横浜の港っぽいですよね。

清水の港は、やっぱり横浜の港と関係が昔から深いんですよね。

それで横浜の港の波止場という地名といいますかね、呼び方、それがこちらに持ってこられたという歴史的な意味があります。

後でまたね、見ていく途中で、展示を見ていく途中で説明をさせてもらいたいと思いますね。


言われてみればここら辺では、波止場が使われている場所ってないですよね。

波止場って何か港町って感じのイメージがある言葉で、私も好きです。

横浜の港との深い関係を示すこの波止場という地名を、もっといろんなところで使われるようになったらいいなと思います。

bottom of page