top of page
魅力ある清水を創る会
みのわ神社001.png

ぶらっと清水【第7回】浅間神社と太平洋がつながっている?! / Could Sengen Shrine Be Connected to the Pacific Ocean?!"

  • 執筆者の写真: 山内 真一
    山内 真一
  • 2024年12月4日
  • 読了時間: 14分






<今日のお散歩まとめ>


  • 山田長政はシャム(現在のタイ)で活躍した日本人で、その功績を記念して浅間神社に軍船の絵馬を奉納したが、絵馬は火災で失われた。

  • 江戸時代には、大名たちが浅間神社の絵馬を写し取り持ち帰ったため、現在も日本各地にその写しが残っている。

  • フェルケール博物館では、長崎の平戸藩主が持ち帰った写しが展示されたことがあり、清水が国際的な交流の中心地だったことを物語っている。

  • 浅間神社には清水の廻船問屋や大阪商人の名前が刻まれた手水鉢があり、大阪から運ばれ奉納されたもので、当時の物流の重要性を示している。

  • 浅間神社は安倍川の扇状地の頂点に位置し、水資源が豊富な場所であった。徳川家康はこの地形を利用して駿府城の水路を整備した。

  • 浅間神社の池で見つかったウナギが南太平洋から遡上してきた可能性があり、神社の池と太平洋がつながっているというロマンある話がある。

  • 浅間神社と清水港のつながりや清水が物流拠点として重要だった歴史を知ることで、この土地の魅力がより一層感じられる。



【提供】






【ぶらっと清水 第7回】


波音ちゃん

さあ、今日のお散歩はフェルケール博物館からスタートです。前回に引き続き、椿原さんと一緒に、清水の歴史や文化を探ります。私が尊敬する歴史上の人物に、清水次郎長さんと山田長政さんがいます。ところで、長政さんにまつわる何かが清水にあるんですか?


椿原さん

実は、山田長政さんがシャム(現在のタイ)で活躍した後、その功績を記念して浅間神社に船を描いた絵馬を奉納しました。この絵馬は火災で失われましたが、江戸時代には参勤交代の大名たちがその絵を写して持ち帰ったので、今でも日本各地にその写しが残っています。フェルケール博物館でも、長崎の平戸藩主が写しを持ち帰ったことが展示で紹介されました。


波音ちゃん

すごいですね!浅間神社の手水鉢にも、清水とのつながりがあるんですよね?


椿原さん

はい。浅間神社の手水鉢には清水の廻船問屋や大阪の商人たちの名前が刻まれています。この手水鉢は大阪から運ばれ、奉納されたものです。船による物流が商人たちの活動の基盤であり、神社に感謝や祈願を込めて奉納したと考えられます。


波音ちゃん

清水が物流の中心地だったことを感じさせますね。他にも興味深い話はありますか?


椿原さん

浅間神社の位置にも注目してください。神社は安倍川の扇状地の頂点にあり、水資源が非常に豊富な場所です。徳川家康は駿府城を築く際、この地形を利用して水路を整備しました。さらに、浅間神社の池と太平洋がつながっているというロマンあふれる話もあります。池で見つかったウナギが南太平洋から遡上してきた可能性があるんですよ。


波音ちゃん

浅間神社の池と太平洋がつながっているなんて、想像するだけでロマンを感じます!清水と世界が古くからつながっていた歴史が、とても魅力的ですね。


椿原さん

そうですね。清水は昔から国際的な交流が盛んで、日本の文化や物流を支える重要な拠点でした。浅間神社を訪れる際には、ぜひ手水鉢やその歴史をじっくり見ていただきたいです。


波音ちゃん

今日はたくさんの歴史のつながりを教えていただき、ありがとうございました!次回も楽しみにしています!


椿原さん

こちらこそありがとうございました。またぜひ清水の散策を楽しんでください!




【観光案内ガイド風】

ようこそ!清水へ!今日は清水の歴史と文化をたっぷりとご紹介します。最初のスポットは「フェルケール博物館」です。この場所には、清水が誇る歴史と港との深い結びつきを物語る展示物がそろっています。

まず、私が尊敬する歴史上の人物である清水次郎長と山田長政についてお話ししましょう。山田長政はシャム(現在のタイ)で活躍した日本人で、その功績を記念して浅間神社に軍船の絵馬を奉納しました。この絵馬は火災で失われましたが、江戸時代には大名たちがその絵を写し持ち帰り、現在も日本各地にその写しが残っています。フェルケール博物館でも、長崎の平戸藩主が持ち帰った写しを展示していました。清水が当時、いかに国際的な交流の中心地だったかがわかりますね。

次に浅間神社についてお話しします。この神社には清水の廻船問屋や大阪の商人たちの名前が刻まれた手水鉢があります。この手水鉢は大阪から運ばれ奉納されたもので、船を使った物流が重要だった時代を物語っています。

さらに浅間神社の位置にも注目してください。神社は安倍川の扇状地の頂点にあり、水資源が非常に豊富な場所です。この地形を利用し、徳川家康は駿府城の水路を整備しました。そして浅間神社の池と太平洋がつながっているという話も興味深いですね。池で見つかったウナギが、南太平洋から遡上してきた可能性があるのです。

浅間神社と清水港がどのように繋がり、清水が物流の拠点として重要だったかを知ると、より一層この土地の魅力を感じていただけると思います。ぜひ清水の歴史を感じながら散策をお楽しみください!


Welcome to Shimizu!Today, I’m excited to take you on a journey through Shimizu’s rich history and cultural heritage. Our first stop is the Verkehr Museum, a treasure trove of exhibits that showcase the deep connection between Shimizu and its historic port.

Let’s start with two historical figures I deeply admire: Shimizu Jirocho and Yamada Nagamasa. Yamada Nagamasa was a Japanese adventurer who became renowned for his achievements in Siam (modern-day Thailand). To commemorate his legacy, he dedicated an ema (votive tablet) depicting his military ship to Sengen Shrine. Although the original was lost in a fire, many feudal lords created copies during their travels, and these replicas can still be found throughout Japan. The Verkehr Museum has even showcased a replica brought back by the lord of Hirado Domain in Nagasaki, highlighting Shimizu’s historical role as a hub of international exchange.

Now, let’s talk about Sengen Shrine. At this shrine, you’ll find a temizu-bachi (purification basin) inscribed with the names of Shimizu’s shipping merchants and Osaka traders. This basin was transported from Osaka and donated as a symbol of gratitude and prayers for safe voyages, reflecting the vital role of maritime trade in the region.

The shrine’s location is also significant. It sits at the apex of the Abe River’s alluvial fan, an area rich in water resources. Tokugawa Ieyasu capitalized on this geography to construct water channels for Sunpu Castle. There’s even a fascinating story suggesting that the shrine’s pond might be connected to the Pacific Ocean. Remarkably, eels found in the pond may have traveled from their spawning grounds in the South Pacific, making their way through Japan’s rivers to reach this serene spot.

By exploring the connection between Sengen Shrine, Shimizu Port, and maritime trade, you can truly appreciate how Shimizu has served as a pivotal gateway for cultural and economic exchange. Enjoy your journey through history, and immerse yourself in the charm of Shimizu!

【放送内容のテキスト文面】


おっはの~ん。

清水港擬人化キャラクター七海波音です。

第一回 ぶらっと清水、始まります。

清水のいろんな場所をぶらっと歩きながら、素敵な魅力を発見して、お伝えしていきます。


この番組は、

清水をみんなで盛り上げたい、

するが企画観光局、

魅力ある清水をつくる会、

鈴与グループ、

清水港振興の提供でお送りいたします。


さあ、今日のお散歩のスタートはフェルケール博物館からスタートです。


前回に引き続きフェルケール博物館の椿原さんと、ぶらっとお散歩していきます。

私の尊敬する人に、清水次郎長さんと山田長政さんがいます。

長政さんにまつわるところって、清水にあるんですか。


山田長政さんの絵馬ってありますよね。

山田長政さんがシャムで活躍をして、その活躍した後に、浅間神社に自分の乗っていた軍戦といいますかね、水軍の船ですよね、それを描いていて、奉納した絵馬があったんですけども、絵馬はどうも火災で無くなっちゃったみたいなんですけども、江戸時代には縁起物だということで、いろんな大名が参勤交代の途中に、浅間神社によると、それを書き写していったので、日本全国のいろんなところに、その絵が、写しですね、あるということを聞きました。


あのフェルケール博物館でも、5年前に、長崎の平戸藩の展示をやったんですけども、平戸の藩主もそれを写して持っていったということで、今もその写しが残ってるってこと伺いました。


そのときなんですけども、話をしていて、お浅間さんにある手水鉢をお参りの前に皆さんしますよね。


そのときに、そのお浅間さんにある手水鉢の前に、清水の廻船問屋の名前が刻んであるっていうことを伺ったものですから、ちょっとその話をしたいなっていうふうに思ってます。


この前、お友達がバンコクから遊びに来てくれたんですけど、やっぱり長政さんのことは知っていて、商店街の銅像をパシャパシャ撮っていました。


その他ですね、清水に関係する方で、山田長政のように日本から飛び出して、ベトナムのホイアンってありますよね。

ホイアンご存知ですかね?

今は観光地になってるんですけども、ホイアンっていうと提灯祭りで非常に有名なとこですよね。


あのホイアンは日本人街だったんですけども、戦国時代の終わりから江戸時代の初めくらいにかけてですよね、日本人街があって、その日本人町の代表をやられた方、角屋なんて言ったかな、ひでもちっていう人のお孫さんなんですけども、その方が、おそらくおじいさんは清水に住んでましたので、はい、清水にいて向こうにベトナムに船で渡って、日本人町の長老といいますかね、頭になって、おそらくは、よく言う、鎖国により日本に帰られ、帰ることができなくなって向こうで亡くなっているっていうことなんです。


やっぱり清水は昔から海外と繋がりがありますね。


ちょうどね今、あの豪華客船いっぱい来ますよね。

そのときに、この港周辺に散策に出る、外国人の方も多いんですけども、バスに乗って、久能山東照宮であったりとか浅間さんとかね、あちらの方に伺う人もいっぱいいますよね。

お浅間さんを見てお参りして、帰ってきたりとかするんですけども、今日はね、お浅間さんと清水の港との関わりって言いますかね、ちょっとその辺のことを話をしたいと思います。


で、一つ、その話の場合に小ネタなんですけども、浅間通りありますけど、浅間通りとはまた別に、長谷通りという通りがちょうど駿府城の北側ですか、そこからまっすぐ伸びてますよね。

あれすごいですね。

長谷通りを入って、門を二つくぐると拝殿がありますけども、あの拝殿のところから長谷通りを反対側に見るんですよね、駿府城の方に向かって。

そうすると僕は知らなかったんですけども、秋分の日と春分の日の朝日が、その長谷通りの向こうから何からまっすぐに登るんですって。

ちゃんと揃え、9月23日の秋分の日に撮った写真ってのがネット上に載ってるんですよね。

びっくりしました。

ちゃんとまち作りって損してるんだろうかなと思っていたんですけども・


えー、それはほとんどの静岡市民は知らないそうですね。


ちょっと驚きましたね。それは小ネタなんですけども。


今言いました、長谷通りから楼門を潜ります。


そうすると、拝殿がありますけども、その拝殿で、先日も廿日会祭の稚児舞とか奉納してたんですけども、その拝殿の手前ですね、右と左に手水鉢ありますね。


ちゃんとお参りをするときに手を、それから口をすすいで、それからお参りをするようにということで、あの水が流れていて、その水を受ける手水鉢といいまして、大きな船のような石が置いてあるんですけども、あそこのは、両側にありましてデカイですよね。

縦が2 mぐらいあるんじゃないですかね。

厚さが1 mくらいあるんですけども、その手水鉢に文字が刻んであります。


長く刻んであるんですけどね、今の風化でなかなか見えにくくなってきてます。

おそらくは今でさえ見えにくいものですから、これから時期が経っていくいくともっと見えなくなっていっちゃうんで、ぜひ皆さん、お浅間さん行ったら、詳しく見ていただきたいと思いますね。


風化かあ、見れなくなる前に見ておかないと勿体ないですね。


一番最初にですね、駿河小早って書いてあります。

駿河の国の小さい早いって書いて、駿河小早って書いてあります。


これは船の種類なんですけども、戦国時代から小早というものがあるんですけれど、物とかも運ぶものですから、水軍だけじゃなくて、後の時代には、交通のための船っていうのかな、物流のための船としても使われております。駿河小早って書いてありますね。


その後に、御極印船仲間として駿府、鉄屋って書いてくろがねやっていうんですね。

佐治右衛門であったりとか小西源平であったり、扇谷半兵衛であったりとか六、七人の駿府の商人の名前が載ってます。

その後に清水港大阪屋田右衛門って人が書いてありますね。

それから大阪積問屋これは荷物を積んで、おそらく清水まで運んできたの人たちですね。それから大阪船問屋、淡路屋宜右衛門が書かれてますね。

この淡路屋宜右衛門っていう人が大阪から清水まで船を使って、荷物を運ぶ一番の大元の人だったと思いますね。

だから、一番最後に書いてあって、この人が一番の主な人になって、この石といいますかね、水船って言いますかね、手水鉢を奉納した人だというふうに考えてます。


なんと、手水鉢も大阪からだったとは。


じゃ、こんなふうに駿府の商人、清水の大阪屋田右衛門、大阪積問屋、大阪船問屋の人たちが刻まれて、ここに水船を奉納したってのはなぜなんでしょうかね?ってことを、僕そのときに考えたんですけど・・・・もちろんね、お浅間さんっていうのは、駿河の国の一宮ですから、一番主な神社ですのでね、そこにお礼のとか、それから無事を祈願して奉納するってのは当たり前のことなんでしょうけども、それ以上に、船を使った流通といいますか、商売をする人たちが、奉納をしているっていうことに、ちょっと何か興味を覚えまして、ちょっと調べてみました。


で、位置って言いますかね、浅間神社のある場所ってのは、やっぱり重要だなっていうふうに僕は思ってるんですけども、なぜかっていうと、皆さんも静岡の静清平野って言いますかね、静岡の市街地ですけども、あの辺りが扇状地になっているってのはご存知かと思いますね。

安倍川の扇状地ですよね。

その扇状地の一番上の扇の要のになっている部分、そこが浅間神社ですよね。


でも、本来はあの浅間神社のあるあたりが扇の要ですので、部屋に出るときには、その部分に・・・から、安倍川まっすぐに流れていたはずですよね。

だから扇状地の一番頂部にあたる部分が浅間神社で、そこに本来は、安倍川の起点となるところ、場所っていうか、それがあったはずなんですよね。


よく言われる話では、その近くに駿府城を作ったので、徳川家康が、西側に安倍川の流れを変えて、そのために氾濫を防ぐために薩摩土手を作ったっていうことなんですけども、それについてはまた別に話しますけども、一番扇状地の頭のところに水がたくさんあるってのは、皆さん予想つきますよね。


駿府城の中にそれから駿府の町に水路を持ってきてますよね。

それもあそこに入ってきてるんですけど、今でも大岩の方に向けて、水路があって、浅間神社の周囲ってのはものすごく水が豊富ですよね。

やっぱりそれは扇状地の真ん中だっていうのがあるんじゃない、あるんだと思います。


今まで多分1000回以上、Googleマップを見てますけど、そんな視点で見たことがなかったです。

やっぱり考えられてますね。


もうちょっと前になるんですけども、浅間神社の宮司さんと話ししたこともあったんですよ。

そのときに、池の掃除とかもするときがあって、そうしたらその池から水が流れるようにするための集水桝があるんですけども、その集水桝にウナギが挟まってたっていうんですよね。

まさかなと思ったんですけど、あの宮司さんが嘘つくはずないですからね、本当なんでしょうけども。

よくよく考えると鰻の産卵地、今は南太平洋だっていうのがわかってきてますよね。


ですので、鰻は1回、巴川を下るか、それか安倍川を下るかして、南太平洋まで行って、産卵をして、また、黒潮に乗って日本の近くまで戻って、遡上をしてしていって、はい、浅間さんの近くまで行って、集水桝にはまっちゃった・・・ていうことなんだろうなってふうに予想をしました。


だから、究極的なこと言っちゃえば、浅間神社の池まで、太平洋は繋がってるんじゃないかなっていうふうに考えてます。


浅間さんの池、巴川、太平洋が繋がっているかもって、なんかロマンがありますね。


はい、ありがとうございました。


あっという間にお時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。

来週もまたお楽しみにです。


この番組は、

清水をみんなで盛り上げたい、

するが企画観光局、

魅力ある清水をつくる会、

鈴与グループ、

清水港振興の提供でお送りいたしました。

bottom of page