ぶらっと清水【第22回】フェルケール博物館を探検!(4)/ Exploring the Verkehr Museum: A Journey into the History of Shimizu Port(4)
- 山内 真一
- 6月14日
- 読了時間: 17分
<今日のお散歩まとめ>
フェルケール博物館内の缶詰記念館を紹介。
記念館はSSK(旧・清水食品)の旧事務所を活用。
日本初のツナ缶を開発した村上喜代雄技師の功績を紹介。
開発翌年の1930年にツナ缶がアメリカへ輸出された。
当時のツナ缶は主に輸出用で、使用されたのはビンチョウマグロ。
世界恐慌や満州事変の影響下、ツナ缶は軍事物資としても機能。
缶詰産業が地域の雇用を支える重要産業に。
紙製の缶詰ラベルは茶ラベルの技術を応用して製作。
ラベルには作業のしやすさを考慮したデザインが取り入れられていた。
ツナ缶の季節性を補うため、冬にはみかん缶を生産。
みかん缶は1931年にイギリスへ輸出され、缶詰王国静岡の礎に。
さんま、ソーセージ、アワビ、しめじ、すき焼き、たくあん、ラーメン具材など多様な缶詰も開発。
魚缶のラベルには写真でなく絵を使用(当時の技術的制約のため)。
缶詰や茶箱のラベルは、産業とアートの融合としても高く評価。
博物館は流通を視覚的に楽しく学べる場として設計されている。
Introduction of the Canned Food Memorial Hall located in the Verkehr Museum.
The building was formerly the office of Shimizu Shokuhin Co., now SSK.
Highlight of engineer Yoshio Murakami, who developed Japan’s first canned tuna.
Tuna cans were exported to the U.S. in 1930, one year after development.
Tuna cans were intended mainly for export and used albacore tuna.
During the Great Depression and the Manchurian Incident, tuna cans were also used as military rations.
The canning industry became crucial for employment and local economic stability.
Paper labels on cans were adapted from tea label printing technology.
Labels included design features for ease of handling by workers of all skill levels.
To address tuna's seasonal availability, canned mandarin oranges were produced in winter.
Canned oranges began export to the UK in 1931, marking the start of "Canned Food Kingdom Shizuoka."
Other canned products included saury, sausage, abalone, shimeji mushrooms, sukiyaki, takuan pickles, and instant ramen toppings.
Fish can labels featured illustrations instead of photos due to technical limitations in 1929.
Labels were highly artistic, merging industrial function with aesthetic appeal.
The museum aims to make logistics and distribution visually engaging and enjoyable for all visitors.
【提供】
いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。
日の出で遊ばう、清水港振興。
静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。
静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。
【ぶらっと清水 第22回】
ぶらっとフェルケール博物館!(4)
波音ちゃん:さあ、今週のスタートはフェルケール博物館にある缶詰記念館からです。清水食品株式会社、今のSSKが、むかし事務所として使っていた建物を活用して、缶詰の歴史を学べる場所となっているということでしたね。どんな展示物があるのか、椿原さん、今日も詳しい解説をお願いします。
椿原さん:はい。清水、そして静岡は、ツナ缶の発祥の地として知られておりますけども、入って右側のレトロなケースの中に、マグロ油漬け缶詰施策の関係者の写真が飾られています。後ろの段に男性が4人並んでいまして、一番右のちょっと背の低い方がムラカミヨシオさん。当時、静岡県の水産試験場の技師で、この方が昭和4年に日本流のツナ缶を開発したんです。
波音ちゃん:え〜!今では誰もが一度は食べたことがあるツナ缶が、ムラカミさんによって生まれたんですね!
椿原さん:そうなんです。少し左に行くと、大きな写真がありまして、女性が50人くらい並んでいます。後ろにはちょっと洋風な建物が見えますが、これが缶詰記念館でして、元々は300メーター南にあったものを移築したんです。写真は、ツナ缶開発の翌年、アメリカ向けに輸出を始めた記念に撮られたものです。
波音ちゃん:海外輸出はすぐに始まったんですか?
椿原さん:はい。当時、国内にツナ缶文化はなかったですから、最初から海外販売を目的として開発されました。マグロの中でもクロマグロではなく、身の白いビンチョウマグロを使い、それがアメリカで人気でした。ちょうど世界恐慌や満州事変が始まる頃で、缶詰は軍事物資としても重宝されましたし、地域の雇用確保にも大きな意味があったんです。
波音ちゃん:ああ…ただの食品じゃないんですね。地域の産業や雇用とも深く関わっていたんだ。
椿原さん:そうですね。そして、缶詰に使われる紙製のラベルも面白いんです。今は金属に直接印刷するのが主流ですが、昔は紙製で、お茶のラベルの技術を流用して作られました。よく見ると、白く印刷してある部分が「伸びしろ」になっていて、どんな人でも扱いやすいように工夫されていたんです。
波音ちゃん:すごくレトロでおしゃれなラベルですね!今出しても人気が出そうです。
椿原さん:ええ、缶詰ラベルを見ると、さんまやソーセージ、アワビ、シメジ、すき焼き、タクアンなんてものまで缶詰にしていました。近年ではインスタントラーメンの具材の缶詰もありますよ。具材の方がラーメン本体より高かったかもしれません(笑)
波音ちゃん:ラーメンの具材まで!? 缶詰って、想像以上に世界が広いんですね!
椿原さん:さらに注目したいのが、缶詰のラベルが「絵」で描かれていること。当時は写真技術が発達していなかったし、魚の生き生きとした姿を表現するには絵の方が適していたんですね。
波音ちゃん:あ、本当だ。みかんの缶詰のラベルも絵ですね。今でも魚の缶詰って絵のラベルが多いですもんね。
椿原さん:静岡では、こうした産業とアートが昔から結びついていて、蘭字のお茶ラベルにもアールヌーヴォーの影響が見られます。美術館の人たちも「面白い!」って言いますよ。
波音ちゃん:なるほど~。ただの製品じゃなくて、見た目のデザインからも地域の魅力が伝わるって素敵ですね。
椿原さん:そうなんです。フェルケール博物館では物流・流通をテーマにしていますが、言葉や文字だけじゃ伝えきれない部分を、こうしたビジュアルで感じ取れるように工夫されています。
波音ちゃん:勉強になるだけじゃなくて、感覚で楽しめる場所なんですね。博物館って堅いイメージがあったけど、ここはおしゃれで面白くて、誰でも楽しめそう!
【観光案内ガイド風】
ようこそ!清水へ!
今日は皆さんを、清水港の歴史を感じられる場所「フェルケール博物館」、その中にある「缶詰記念館」へご案内しますね。ここは、かつて清水食品株式会社、今のSSKが使っていた事務所を活用してつくられた施設で、缶詰の歴史が学べる貴重な場所なんです。
さあ、こちらをご覧ください。館内に入ってすぐ右手、レトロなケースの中に並ぶのは、マグロ油漬け缶詰の開発に関わった方々の写真です。その中で注目していただきたいのが、一番右の背の低い男性、ムラカミヨシオさん。昭和4年に、日本で初めてツナ缶を開発された方なんですよ。
私たちにとってすっかり日常になったツナ缶ですが、その始まりはここ、清水からだったんです。
少し左に移動してみましょう。ここに写っているのは、女性たちがずらりと並んだ写真。後ろに見える洋風の建物が、まさにこの缶詰記念館。もともとは300メートルほど南にあった建物を移築して、今の形に生まれ変わりました。写真は昭和5年、開発翌年にツナ缶をアメリカへ輸出した記念のものなんですよ。
当時の日本では、マグロといえば刺身で食べるクロマグロが主流。でもツナ缶に使われたのは、白身のビンチョウマグロ。アメリカでは缶詰で食べるのが一般的だったので、それに合わせて開発されたんですね。国内市場よりも、最初から海外輸出を視野に入れていたのがポイントです。
実はこの缶詰、当時の世界恐慌や満州事変の時代背景の中で、軍事物資としての役割も果たし、さらに地域の雇用にもつながりました。まさに、時代が求めた商品だったんです。
さて、こちらの壁をご覧ください。たくさんの缶詰ラベルが並んでいますね。これ、みんな紙製なんです。今では印刷が主流ですが、当時はお茶のラベル技術を応用して作られていました。印刷の余白「伸びしろ」もあって、誰でも扱いやすくデザインされていたんですよ。
しかも、缶詰はツナだけじゃありません。冬の時期には、静岡名産・みかんの缶詰を作って、通年で産業が回るよう工夫されていたんです。驚くことに、ツナ缶とみかん缶は同時進行で開発されていて、昭和6年にはイギリスへの輸出も始まっていました。
そして、ここフェルケール博物館には、他にもさんま、ソーセージ、アワビ、シメジ、なんとすき焼きやタクアンの缶詰まであるんです。インスタントラーメンの具材の缶詰もあって、具材の方が高かったんじゃないか、なんて笑い話もあります(笑)
面白いのが、缶詰のラベルは写真じゃなくて絵で描かれていること。昭和初期は写真技術がまだ未熟だったので、食材の魅力を伝えるために、美しいイラストが多用されていたんです。これがまた、芸術的なんですよ。
静岡は、お茶の蘭字ラベルでも知られるように、産業とアートが自然に結びついた土地。今では「地域の魅力を発信するにはデザインが大事」と言われますが、静岡では何十年も前からそれを実践していたというわけです。
この博物館では、物流や流通の仕組みを、難しい言葉ではなく、目で見て楽しめる展示で伝えています。だからこそ、訪れた人それぞれが違う感想を持てる、そんな素敵な場所なんです。
では、次はラベルの美しいデザインに注目しながら、もう少しじっくり見てまいりましょう!
Welcome to Shimizu!
Today, I’m taking you to a very special place where the rich history of the port town comes alive—welcome to the Canned Food Memorial Hall, located inside the Verkehr Museum here in Shimizu.This building was once used as the office of Shimizu Shokuhin Co., now known as SSK, and has been repurposed to showcase the fascinating history of canned foods in Japan.
As we step inside, please look to your right. You’ll see a retro display case holding a photograph of several people—these are the pioneers involved in the production of oil-packed tuna cans.Among them, the man standing on the far right—slightly shorter than the others—is Mr. Yoshio Murakami. He was an engineer at the Shizuoka Prefectural Fisheries Experiment Station, and in 1929, he successfully developed the first Japanese-style canned tuna.
Can you believe that the tuna cans we now take for granted had their origins right here in Shimizu?
Now let’s move slightly to the left. You’ll see a large photograph showing a group of about 50 women. Behind them stands a Western-style building—this very building we are in now.It was originally located about 300 meters to the south but was moved here and restored as the memorial hall. That photo was taken in 1930 to commemorate the first export of tuna cans to the United States, just one year after development began.
At that time in Japan, tuna was mostly eaten raw as sashimi, especially the prized bluefin tuna. But for canning, they used albacore tuna, which has white flesh and was already popular in American canned products.The idea was to replicate that success and create a viable export product for Japan.
In fact, during the global economic depression and the outbreak of the Manchurian Incident, canned tuna also served as a crucial military supply.It wasn't just food—it supported regional employment and economic stability, helping Shizuoka develop a thriving canning industry.
Now take a look at the wall over here. You’ll notice many beautifully designed can labels—all made of paper.Back then, unlike today’s printed metal cans, they used paper labels. These designs were based on and improved from tea label printing technology, which Shizuoka was also known for.
If you look closely at the right side of the label, you’ll notice a white, blank space. That was intentionally left for flexibility, allowing people of various skills and backgrounds to work on the labeling process more easily.It’s a great example of inclusive design—practical and thoughtful.
There’s more than just tuna, of course. Since tuna fishing was seasonal, mostly from June to August, they needed something to produce in winter.So what did they do? They started making canned mandarin oranges—a famous product of Shizuoka. Surprisingly, both tuna and orange canning were developed at the same time.The canned oranges began exporting to the UK in 1931, a year after the tuna exports to the US. That was the real start of Shizuoka’s identity as “The Kingdom of Canned Foods.”
You’ll also find labels for canned pacific saury, sausage, abalone, and even shimeji mushrooms.How about sukiyaki in a can? Or—this one made me laugh—a can of takuan, which is already a preserved food!There’s even a canned topping set for instant noodles—probably more expensive than the noodles themselves!
One charming detail you may notice: most of the canned fish labels feature illustrations rather than photographs.That’s because in 1929, photography technology wasn't advanced enough to capture live fish underwater. So artists illustrated the products, and their work gave the labels a distinct beauty.
This idea of combining industry with art is very much a Shizuoka tradition. The same goes for tea box labels, known as “Ranji,” which blend traditional Japanese woodblock techniques with Art Nouveau influences.Even modern museum curators admire these designs for their aesthetic value.
So you see, long before today’s branding trends, Shizuoka had already mastered the art of using design to share local culture and value.
Here at the Verkehr Museum, the goal is to make the story of logistics and distribution visually engaging, not just explained in words.And that’s what makes this museum so special—everyone sees and feels something different.
Now, shall we move on and take a closer look at some of those beautiful vintage labels?
【放送内容のテキスト文面】
さあ、今週のスタートはフェルケール博物館にある缶詰記念館からです。
清水食品株式会社、今のSSKが、むかし事務所として使っていた建物を活用して、缶詰の歴史を学べる場所となっているということでしたね。
どんな展示物があるのか、椿原さん、今日も詳しい解説をお願いします。
はい。清水それから静岡は、ツナ缶の発祥の地として知られておりますけども、入って右側の、まず、レトロなケースの中に写真が何名か並んでますけども。
マグロ油漬け缶詰施策の関係者っていう写真があります。
後ろの段に男性が4人並んでますけど、一番右のちょっと背の低い方なんですけども、ムラカミヨシオさんっていいます。
当時は静岡県の水産試験場の技師の方なんですけども、この方が昭和4年に日本流のマグロのツナ缶を開発しました。
今では、誰もが一度は食べたことがあるのではないかというほど、当たり前のものになったツナ缶は、ここの写真に写っているのムラカミヨシオさんっていう方によって開発されたんですね。
ちょっと左に行きますね。
そうするとここにまた大きい写真がありますけども、女性がいっぱい並んでいて50人くらいいるんでしょうかね。その後ろに、ちょっと洋風な建物が当たってますけど、この建物がこの缶詰記念館になります。
300メーターほどね、南にあったんですけども、こちらに移築をして、缶詰記念館として使っています。開発された昭和4年の翌年にはアメリカに向けて、ツナ缶詰めを輸出しているんですけども、そのときに撮った記念写真になります。
缶詰記念館の当時の姿が見られますね。
ツナ缶を開発されてすぐに海外輸出されたんですか。
1年目は、日本国内へ浸透していくのは難しいと思うので、元々ツナ缶はは国内で食べるものというよりは、海外へ売るのが主な目的で開発されていたってことですか。
ツナ缶のことをね、話をするとすごく長くなってしまうんですけども。
日本ではね、やっぱりマグロといういうと、クロマグロを刺身で食べることが多いんですけども、そのクロマグロ、本マグロとはまた別に、ビンチョウマグロという身の白いマグロですよね。
クロマグロと比べたら、ちょっと方も小さいんですけども、それをツナ缶詰にしてアメリカでは食べてるということで、同じようなものを日本でも作ったら、貿易品になるんじゃないかという考えで、清水食品株式会社が発祥しております。
翌年にはアメリカに向けての輸出始めてるんですけども、当時は世界恐慌で経済はあまり回ってませんよね。
それから昭和6年には中国との戦争、満州事変が始まっていますので、缶詰は軍事物資としての役割もありましたよね。
それから、この周囲の方たちの生活を安定させる、就業を増やすという意味でも有効だったわけですね。それで、静岡では缶詰産業が盛んになったということになります。
そうなんですね。
海外では既にツナ缶のようなものがあって、それを真似て、日本のツナ缶が誕生したんですかあ。日本ではあまり食べられない種類のマグロは有効活用でき、地域の雇用も生み出すことができる素晴らしい開発だったんですね。
それで、多くのガラスケースの中の壁にいくつも缶詰のラベルが掲げてありますけども、これ、紙製のラベルですよね。
今は缶詰のラベルってそのまま金属に印刷してしまうものですから、こういうの紙製のラベルで意外と少なくなってしまったんですけども。
先ほどの第2展示室にあった、お茶のラベル、あれも紙製ですよね。あのお茶のラベルの技術をもっと高くして、流用して作られたのがこの缶詰ラベルになります。
よく見るとね、右側にわかりますか。
白く印刷して内部があって、これが伸びしろなってるんですよね。
だから、どなたでもどんな人でも仕事がしやすいようにということで考えられていたようですね。
レトロな感じでおしゃれラベルがたくさんですね。
今、復刻版みたいな感じで売り出しても売れそうなデザインです。
地域の雇用機会を生み出すという目的で開発されただけあって、老若男女問わず作れるパッケージにということで、とても考えて作られていたんですね。
それから、静岡の缶詰はツナ缶から始まっているんですけども、調べてみると、マグロを取ることができた時期というのが、6月から8月だったみたいですね。
やっぱり温かい時期ですよ。
冬になると、やっぱりあの魚も釣れない、動きが弱くなりますので、缶詰には向かないっていうことですよね。それでツナ缶をどうしましょう?という話になるたんですけども。
はい、左側を見てみますと、静岡ですから、みかんの缶詰ですよね。
みかんの缶詰を冬に作って、年間を通して缶詰産業を安定させたということです。
驚くのはこのみかんの缶詰の開発も、ツナ缶と同時進行で行っていたということです。
ですので、みかんの缶詰については、1年遅れて昭和6年からイギリスに向けて輸出を始めたということです。
これが、静岡の缶詰王国の始まりになります。
ツナ缶と同時進行で、みかんの缶詰も開発されていたんですか。
マグロとみかんでは、調理の仕方も保存方法も異なるので、それを一緒に開発するっていうのはかなり難しいことだったと思います。
日本で初めて開発した缶詰は、当時のアメリカやイギリスといった大国にも認められる商品であったんですね。
改めて、缶詰王国静岡の缶詰を誇りに思います。
他にも、ラベルをよく見ていくと、さんまやソーセージ、アワビのラベルもありますね。こういったものの缶詰を作る技術も静岡で研究されていたんでしょうか。
はい。とにかくいろんな缶詰を作っておりますよね。
左側にもっと見ていくと例えばシメジもありますけどね。
すき焼きの缶詰もありますしね。
フェルケール博物館で数千枚この紙製のラベルを収蔵してるんですけども、それを見ていくと、笑っちゃおかしいんですけど、笑ったのはタクアンの缶詰があったんですけども、タクアンって元々保存食ですよね。
それを缶詰にしてするとかっていうのもすごいなと思ったんですけども。
あと近年のものなんですけども、インスタントラーメンの具材の缶詰ってのもありましたね。
おそらくは、インスタントラーメンよりも具材の缶詰の方が高かったんじゃないかなと思うんです。そういうものもありまして、非常にあの楽しませてくれますよね。
そんなものまで缶詰になっていたんですか。
面白いですね。
ラーメンの具材缶詰があれば、インスタントでも豪華になるので、ちょっと欲しいですね。
それからよくよく見ていただくとわかるんですけども、魚の缶詰の缶詰ラベルが一番古いんですけども、よく見ていただくとわかるんですけども、魚の缶詰のラベルって魚を絵で書いてますでしょ。
もちろん昭和4年当時ですからまだ写真の技術って発達してないんですけども、海の中で生きのいい魚の写真は撮れないですよね。
だから、絵で表現をしているんです。
だから、缶詰のラベルって写真よりも絵の方が多いんですよ。
言われてみればそうですね、ここにあるラベルはほとんどが写真を使っていませんね。
はい。
美味しそうな食べ物の絵を使ってますですから、みかんの缶詰をよくよく見てみると、写真じゃなくて絵だったりとかします。
あんまり考えたことがなかったですが、確かに今でも魚の缶詰のラベルってイラストが使われていますね。
ちゃんと理由があったんですね。
茶箱もそうでしたが、ラベルにおしゃれなイラストが使われていて、静岡って産業と芸術的なものが、とてもリンクしている町ですね。
そうなんです!いいですね。
すごくお茶も、日本的な伝統的な木版技術と、その当時のアールヌーヴォーの影響を受けて蘭字というラベルが作られていたりしています。
美術館の人がこれ面白いといいますね。アールヌーヴォーのいいデザインの見本だったんですね。
現在は、その地域の価値を発信するのに、デザインとかアーティスティックな部分が重要なポイントで注目される点と言われていますが、茶箱や缶詰のラベルを見ていると、こんな前から静岡では、それを取り入れているというところがすごいなと思います。
すごくいいことを言ってくださったと思うんですけども、この博物館、物流とか、流通の博物館なんですけども、言葉とか文字とかだけで表現をしても面白くないですよね。
だから、デザインとかを大事にして缶詰のラベルとか、お茶のラベル、そういったもので流通を皆さんに伝えよう、ビジュアル伝えよう、そういうことを考えてやってます。
確かに、正直、博物館っていうと、ちょっとお堅いイメージがあって、一般の人からすると、楽しいところというよりは勉強になる場所という感じがあるかもしれませんでも。
こういったカラフルでデザイン性があって、誰でもおしゃれだと感じるものとか、館内の船をイメージした装飾とか、文字では表せないような感覚で見るものがあると、それをどう感じたか、人それぞれ違って意見交換ができたり楽しむことができますね。