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魅力ある清水を創る会
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ぶらっと清水【第9回】巴川のはじまりはどこ? / Where does the Tomoe River begin?

  • 執筆者の写真: 山内 真一
    山内 真一
  • 2024年12月10日
  • 読了時間: 15分

更新日:2024年12月17日









<今日のお散歩まとめ>


  • 巴川の源流は静岡市内の「麻機沼(あさばたぬま)」で、ここから湧き出た水が巴川を形作り、清水港まで流れる全長18キロの短い川です。

  • 巴川の高低差はわずか8メートルと非常に緩やかで、水運に適していましたが、大雨の際は洪水のリスクがありました。このため、東静岡駅近くに放水路が設けられました。

  • 清水港と次郎長通りには江戸時代の歴史が詰まっており、特に42件の廻船問屋が注目されています。これらは物流を支える重要な存在で、徳川家康から特権を与えられました。一方で、海上警備や水難事故対応の義務も負い、地域の発展に貢献しました。

  • 現在でも鈴与グループ、天野回漕店、アオキトランスなどの企業が廻船問屋の伝統を受け継ぎ、清水を支える存在となっています。

  • 美濃輪稲荷神社や西宮神社の玉垣には廻船問屋の名前が刻まれており、西宮神社では鳥居の両側にそれを見つけることができます。また、境内には若者が力比べに使った「力石」も展示されています。

  • 清水の歴史には多くの物語が隠されており、地域の歴史を辿ることで新たな発見や感動が得られます。



  • The Tomoe River originates from Asabata Marsh in Shizuoka City, with water from the marsh forming the river that flows 18 kilometers to Shimizu Port.

  • With an elevation difference of only 8 meters from Asabata Marsh to the Pacific Ocean, the river has a gentle flow, making it suitable for water transport but prone to flooding during heavy rains. To address this, a flood control channel was constructed near Higashi-Shizuoka Station.

  • Shimizu Port and Jirocho Street are steeped in Edo-period history, notably with the presence of 42 kaisen (shipping agents). These agents played a key role in logistics, receiving special trading privileges from Tokugawa Ieyasu while taking on responsibilities such as maritime security and responding to sea accidents.

  • Companies like Suzuyo Group, Amano Shipping, and Aoki Trans continue the legacy of the kaisen, supporting Shimizu's economy to this day.

  • Names of kaisen are inscribed on the stone fences at Minowa Inari Shrine and Nishinomiya Shrine, with the latter featuring these names on either side of the torii gate. The shrine grounds also include "power stones" once used by young men for strength contests.

  • Shimizu's history is rich with stories waiting to be uncovered. Exploring the region's past promises new discoveries and a deeper appreciation of its cultural heritage.



【提供】







【ぶらっと清水 第9回】


波音ちゃん: さあ、今日のお散歩のスタートは麻機沼です!前回の続きで、フェルケール博物館の椿原さんと一緒に、ぶらっとお散歩していきます。でも、ここ、清水というより山の近くですね。どうしてここに来たんですか?


椿原さん: はい、ここは「麻機沼(あさばたぬま)」という場所で、巴川の源流なんです。この沼や周辺の湧き水が巴川を形作っています。


波音ちゃん: なんと、巴川の始まりがここだったんですね!それで、ここに来たんですね。


椿原さん: そうなんです。巴川は全長18キロと短い川ですが、この沼から湧き出た水が、平地をゆるやかに曲がりながら清水港へ流れ込んでいます。高低差が麻機沼から太平洋までわずか8メートルしかないので、非常に緩やかな流れです。


波音ちゃん: 高低差がそんなに低いんですね。だから緩やかな流れなんだ。


椿原さん: そうです。この特徴のために、大雨のときには氾濫しやすいのですが、逆に水運には非常に適していました。また、東静岡駅の近くには放水路が作られていて、大谷からの水を流す役割を持っています。


波音ちゃん: 放水路が巴川のためだったなんて知りませんでした!緩やかな流れだからこそ、水運にも使いやすかったんですね。もっと巴川の役割や歴史を聞いてみたいです。清水に戻って、続きをお願いします!


波音ちゃん: 清水港に戻ってきました。次郎長通りにやってきたんですが、先ほど「水運」という言葉が出てきましたね。42件の廻船問屋の話をもう少し詳しく教えてください。


椿原さん: 清水港旧記という江戸時代の古文書に、清水港と42件の廻船問屋についての記録が残されています。清水の巴川河口部の近く、現在の次郎長通りや八雲神社周辺に廻船問屋が集まっていました。


波音ちゃん: そのあたりが清水港の中心だったんですね。


椿原さん: そうです。また、徳川家康が大阪冬の陣と夏の陣の際、清水港の廻船問屋に湾の警備や水軍の操船を命じました。その功績として、家康は42件の廻船問屋に特権を与え、安倍川から富士川までの物流を独占させたんです。


波音ちゃん: 特権を持つ存在だったんですね。何か義務もあったんですか?


椿原さん: はい、駿河湾内での海上警備や水難事故の対応も義務付けられていました。権利と義務を併せ持つ存在として、明治6年までその役割を果たしていました。


波音ちゃん: 今もその名残を持つ会社があるんですか?


椿原さん: ありますよ。鈴与グループ、天野回漕店、アオキトランスなどがそうです。地域に根付いた企業が、当時の歴史を引き継いでいます。


波音ちゃん: 清水を代表する会社ばかりですね!歴史を知ると、さらに特別に感じます。


波音ちゃん: 廻船問屋の歴史を感じられる場所って、どこかありますか?


椿原さん: 美濃輪稲荷神社や西宮神社の玉垣に、廻船問屋の名前が刻まれています。また、明治時代以降に刻まれた船や会社の名前もありますので、ぜひ探してみてください。


波音ちゃん: 西宮神社の玉垣に名前があるんですね!探しに行ってみます。


椿原さん: 鳥居の両側や境内には「力石」もあります。力自慢の若者たちが担いで競ったもので、こちらも面白いですよ。


波音ちゃん: 毎年来ているのに気づきませんでした!清水の歴史、まだまだ奥が深いですね。今日はありがとうございました!



【観光案内ガイド風】

ようこそ!清水へ!

今日は清水の歴史と文化を巡る旅に出かけましょう。最初にご案内するのは、巴川の源流でもある「麻機沼(あさばたぬま)」です。この場所は、清水から少し山手に入った静岡市内に位置します。ここで湧き出た水が巴川を形作り、清水港まで流れています。全長はたった18キロと短い川ですが、その流れには大きな役割が隠されています。

巴川の高低差は、麻機沼から太平洋までわずか8メートルしかありません。このため、流れは非常に緩やかで、昔は水運に適していました。一方で、大雨が降ると洪水の危険性がありました。その対策として、東静岡駅近くに放水路が作られました。このように、巴川は地域の物流と防災の両方で重要な役割を果たしてきたのです。

次に向かうのは、清水港と次郎長通りです。ここには、江戸時代の清水港の歴史が詰まった場所が多くあります。特に注目したいのが、42件の廻船問屋です。廻船問屋は、江戸時代に清水港で物流を支えた存在で、徳川家康が大阪の陣での功績を評価し、彼らに特権を与えました。それは、安倍川から富士川までの物流を独占できるというものでした。一方で、駿河湾内での海上警備や水難事故対応といった義務も課せられ、地域の発展に貢献してきました。

現在でもその歴史を受け継ぐ企業があります。鈴与グループ、天野回漕店、アオキトランスなどがその代表です。これらの企業は、廻船問屋の伝統を現代に引き継ぎながら、清水を支える存在であり続けています。

また、廻船問屋の名前は、美濃輪稲荷神社や西宮神社の玉垣にも刻まれています。特に西宮神社では、鳥居の両側にその名を見つけることができます。さらに境内には「力石」という、力自慢の若者たちが担いで競った石もあります。歴史を感じながら、散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。

清水の歴史には、まだまだ多くの物語が隠れています。地域の歴史を辿ることで、新たな発見や感動が待っています。ぜひ、清水の魅力をたっぷりと体感してください!



00009-日本語音声


Welcome to Shimizu!

Let’s embark on a journey to explore the rich history and culture of Shimizu. Our first stop is Asabata Marsh, the source of the Tomoe River. Located in the mountains near Shimizu, this marsh feeds the river that winds its way 18 kilometers down to Shimizu Port. Despite its short length, the Tomoe River played a significant role in the region’s history.

With an elevation difference of just 8 meters from Asabata Marsh to the Pacific Ocean, the river flows very gently. This made it ideal for water transport in the past, although heavy rains often caused flooding. To address this, a flood control channel was built near Higashi-Shizuoka Station. The Tomoe River thus became central to both transportation and disaster prevention in the area.

Next, we head to Shimizu Port and Jirocho Street, where we uncover stories from the Edo period. A key feature of this history is the 42 kaisen (shipping agents). Recognizing their contributions during the Siege of Osaka, Tokugawa Ieyasu granted them special trading privileges, allowing them to monopolize shipping between the Abe and Fuji Rivers. In return, they were tasked with maintaining maritime security and responding to sea accidents, playing an essential role in the development of the region.

Even today, companies like Suzuyo Group, Amano Shipping, and Aoki Trans continue this legacy, serving as vital pillars of the Shimizu community. Their enduring presence connects the past with the present, highlighting the region’s vibrant maritime history.

You can also explore the history of these kaisen at locations like Minowa Inari Shrine and Nishinomiya Shrine, where their names are etched into stone markers. Nishinomiya Shrine, in particular, features these names on stone fences near the torii gate. Within the grounds, you’ll also find "power stones," used in strength contests by young men in the past. It’s a fascinating way to connect with the lives of people who shaped the region.

Shimizu’s history is full of captivating stories waiting to be discovered. By delving into its past, you’ll uncover new perspectives and deeper appreciation for the area. Enjoy your exploration of Shimizu!



00009-英語音声


【放送内容のテキスト文面】


おっはの~ん。

清水港擬人化キャラクター七海波音です。

第一回 ぶらっと清水、始まります。

清水のいろんな場所をぶらっと歩きながら、素敵な魅力を発見して、お伝えしていきます。


この番組は、

清水をみんなで盛り上げたい、

するが企画観光局、

魅力ある清水をつくる会、

鈴与グループ、

清水港振興の提供でお送りいたします。


さあ、今日のお散歩のスタートは、麻機の何か水がいっぱいあるところ?からスタートです。

前回に引き続き、フェルケール博物館の椿原さんとぶらっとお散歩していきます。

椿原さん、ぶらっと清水って名前の番組なのに、前回の流れから、今日は思わず静岡の山の近くまでやってきてしまいました。

この番組も、いよいよ活動範囲が広がってきましたね。

それはさておき、この麻機の水がいっぱいある場所に、なんで来たんでしょうか。


はい、麻機沼っていうんですけども、ここから、この周辺から湧き出た水が集まって巴川になってます。


なんと、巴川の始まりだったんですね。

だから、ここに来たんですね。


はい、巴川って、全長が18キロしかないって、非常に短い川なんですけども、ここから湧き出た水が集まって、平地をですね、落差がなく、くにゃくにゃくにゃくにゃ曲がりながら18キロかかって。太平洋っていいますかね、清水の港に流れ込んでます。


高低差がね、この麻機沼から太平洋まで、8メーターしかないみたいですね。

とすると、はい、1キロで、1メーターも変わらないくらいですから、非常に緩やかな流れなんですよね。


だから雨が降ると、大変なことになっちゃったりとか、それから今の静岡、東静岡駅ですか、あの近くにちゃんと放水路っていうか、作ってありますよね。

大谷の方から水を流すようにして作ってありますよね。

そういうのも作られるっていうことは、非常にあの普段、大雨じゃないときってのは緩やかな川ですので、かえって運河とかね、水運には使いやすかったということなんです。


特に今まで何も考えずに生きてきましたけど、大谷の放水路って、巴川のためにあったんですね。

出口の150号線沿いしか意識していなかったので、場所が離れているし、全くイメージがなかったです。

それに、高低差が低くて、緩やかだから水運に使いやすかったのかあ。

あらためて、船を使った運搬と巴川、そして清水港についてお話を聞いてみたいです。

清水に戻って、お話聞かせてください。


さあ、清水に戻ってきました。

次郎長通りに来たんですけど、先ほど、水運というキーワードも出ていましたね。

以前、お話に出ていた42件の廻船問屋のお話も聞いてみたいです。


はい、博物館が入って、常設展示ですね、一番最初のあたりに清水港旧記っていう本が、江戸時代の古文書ですね、展示してあります。

その中に江戸時代の初めから、江戸時代の終わりまでの清水港の歴史がいっぱい書いてあるんですけども、その中に清水の廻船問屋の、42件の廻船問屋についても記されています。


そんな本が!それは読んでみたいです。


はい、実を言うと、今ね、ここ次郎長通り歩いてますけども、江戸時代の清水の巴川の河口部の近く、そこの800メーターくらいの長さがありました。

川に沿って作られた港なんですけども、よく言われる川港ですよね。

今の次郎長通り、それからずっと河口を上がって歩いていくと、八雲神社っていう神社があるんですけど、そこまで800メーターぐらいなんですけども、今の本町、本町って書いて本町って読むんですけども、本町部分が一番の中心地になります。ここを中心に廻船問屋が集まっていました。


なるほど。

その辺りだったんですね。


何年前かな。

NHKで真田丸っていう、堺雅人が主演の大河ドラマやってましたよね。

あのときに、一番クライマックスになっていったのが大阪冬の陣、それから大阪夏の陣っていう、徳川家康が淀殿と秀頼がこもっていた大阪城を攻める場面でしたよね。

そのときに、徳川家康はもう、駿府城に住んでました。

ですから、駿府から出陣をしてたんですよね。

で、駿府から出陣をするとなると、留守になるでしょう。

あのときは本当に、関ヶ原の戦い終わってましたけども、日本を二分する戦いだったんですよね。

ですので、徳川家康は、空になった駿府城を豊臣方の水軍が攻めるの、非常に恐れてたんですよね。

それで、はい、今の清水の湾ですよね。

湾の中に、徳川方の水軍を配置していたそうです。


清水の港の廻船問屋の人たちにも、その湾の警備であったりとか、水軍の船を、操船っていうんですか、操る仕事を命じたそうです。


夏の陣が終わって、徳川家康は勝ち戦になりましたよね。

勝ち戦になったときに42件廻船問屋があったんですけども、42件の廻船問屋の人たちに恩賞として、42件で株仲間を作って、今の安倍川から富士川までの間の船を作った商いを独占させたっていうことです。

それは権利だったんですけども、そうすることによって、駿府の町の港であった清水港を安定をさせて、駿府のお城、それから駿府の町の経済も安定をさせた。っていうことだそうです。


そういう流れで特権を与えられた存在が42件の廻船問屋だったんですね。


で、また、あの権利だけだとものすごく助かるんですけども、同じように義務として、今の下田から御前崎の間、だから清水の港によって、駿河湾内の、今で言う警察権であったりとか、何か難破であったりとか水難事故があったときにお手伝いをさせる、今の海上保安部のお仕事ですよね。

そういうものも42件の廻船問屋に義務として負わせたというおkとです。

ですので、権利と義務を持ったということなんですけども、その42件の廻船問屋がそれを明治の6年まで、江戸時代を通じて、その権利と義務をずっと行使をしていたということです。


すごいな。

そんな特権を持っていた42件の廻船問屋さんって、そのうち、いくつかは今でも会社として残っているんですか。


株仲間ですので、株の売り買いによって、廻船問屋さんってのは変わります。

ですけども、実際に物流関係で、今でも残っているっていうのは、鈴与グループの方がそうですよね。地元の人たちは今でも、鈴与さんっていう呼び方をされてますよね。

それから、天野回漕店さんも天野屋さんっていう廻船問屋の名残ですよね。

それから社史、会社の歴史を見ていきますと、アオキトランスさんも●ふじしろやうへい●さんの子孫だっていうことを書かれてますよね。


ですから、その他にも三保屋さんであったりとか、いろんな方がまだ今の場所に住んでいらっしゃる方は多いですね。

北村さんもそうですよね。北村さんは科学者としても、今、有名な方ですのでね。


清水に住んでいたら、知らない人はいないような、清水を代表する会社さんばかりですね。

そんなに昔から、皆さん静岡のために活躍されていたなんてびっくりです。


その42件の廻船問屋の方たちが奉納した玉垣とかがあるものですから、この前、波音ちゃんといった、美濃輪神社、そこに言って、廻船問屋の名前を確認してみたらいいと思いますね。


はい、あらためて美濃輪稲荷神社にも行ってみて、知ってる名前がどれだけあるか探してみようと思います。


それから、本町のあたりですね、今、11月になると、おいべっさんのお祭りとかありますけども、西宮神社、その西宮神社の石垣、玉垣ですね、そこにも、廻船問屋名前が刻まれておりますのでね、皆さん探しに行くと楽しいんじゃないかなと思いますね。

山本長五郎さんの名前も刻まれていますからね。


それから、江戸時代が終わって、明治時代に入ってから、廻船問屋の人たちが持っていた静岡丸であったりとかね、そういう船の名前とか、会社の名前を刻んだ玉垣とかもありますから、非常に見ていくと面白いんで皆さんぜひ探検に行ってみてください。


西宮神社にも?ちょっと言ってみましょう。


さあ、そのまま歩いてきましたけれども、西宮神社はどこに名前が書いてあるんでしょうか。


鳥居がありますけど、その鳥居の左右の玉垣っていいますかね、フェンスのように石垣みたいのがありますけども、ここにありますね。

ここにほら、鈴木与平さんの名前ありますよね。

いろいろ名前も刻んでありますし、この人たちが、左、玉垣入って、神社左行くと大きな石が3つ置いてあります。

これ、力石って言って、神社に関係するような若い衆が、当時、担いで、「俺かつげた!」とかって力自慢をするようなものが中に入っていたりとかね。面白いですね。


えー!おいべっさんのお祭りのときに、毎年のように来ているというか、その時しか来ないので、全然気づきませんでした。


はい、ありがとうございました。


あっという間にお時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。

来週もまたお楽しみにです。


この番組は、

清水をみんなで盛り上げたい、

するが企画観光局、

魅力ある清水をつくる会、

鈴与グループ、

清水港振興の提供でお送りいたしました。

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