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魅力ある清水を創る会
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ぶらっと清水【第16回】清見寺にやってきた!! / Here I am at Seikenji Temple!!

  • 執筆者の写真: 山内 真一
    山内 真一
  • 4月28日
  • 読了時間: 15分





<今日のお散歩まとめ>


  • 今日のお散歩は興津の清見寺からスタート

  • 清見寺前の道は東海道で、興津宿の中心に位置

  • 清見寺は臨済宗の歴史ある寺院で、大きな山門が印象的

  • 境内をJR東海道本線が通る珍しい構造で、もともとは参道だった

  • 山門に掲げられた「東海名區」の額は、江戸時代に朝鮮通信使の書家が書いたもので、日本(東海)の名勝を意味する

  • 朝鮮通信使は戦国時代の国交断絶後、徳川家康によって国交を回復するために派遣された友好使節団

  • 朝鮮通信使は駿府城の徳川家康に拝謁後、清見寺を宿泊や休憩所に利用し、住職と漢詩を交わして交流

  • 清見寺には朝鮮通信使との交流資料が多く残り、ユネスコ世界記憶遺産に登録されたものもある

  • 本堂には紙に書かれた漢詩を木の板に刻んだものが掲げられ、静岡県指定文化財となっている

  • 清水港、ガントリークレーン、JAMSTECの「ちきゅう」などが一望できる絶景ポイントがある

  • さらに登った先には、琉球国・具志頭王子の墓があり、本来の墓と子孫が建てた墓が並ぶ

  • 琉球はかつて独立国で、江戸時代初期に徳川幕府へ恭順の意を示すため使節団を派遣

  • 具志頭王子は駿府で病没し、徳川家康が琉球を望む清見寺の高台に国賓として墓を建てた

  • 清水港の海を眺めながら、その先に広がる沖縄・琉球の地を想う特別な場所となっている



  • Today’s walk starts at Seikenji Temple in Okitsu

  • The road in front of Seikenji is the historic Tokaido, located at the heart of Okitsu-juku

  • Seikenji is a historic Rinzai Zen temple with a grand main gate

  • The JR Tokaido Line uniquely runs through the temple grounds, originally a straight approach path to the main hall

  • The plaque "Tokai Meiku" at the gate was written by a calligrapher from the Korean Joseon Tongsinsa, symbolizing Japan as a beautiful eastern land

  • The Joseon Tongsinsa were diplomatic envoys sent to restore relations between Japan and Korea after the wars of the late Sengoku period

  • After paying respects to Tokugawa Ieyasu at Sunpu Castle, the envoys stayed at Seikenji and exchanged Chinese poems with the learned monks

  • Seikenji retains many cultural records of the Tongsinsa, some registered as UNESCO Memory of the World heritage

  • In the main hall, Chinese poems are carved into wooden boards, now designated as cultural properties by Shizuoka Prefecture

  • There are breathtaking views of Shimizu Port, gantry cranes, and the JAMSTEC research vessel "Chikyu"

  • Further uphill, there are two graves of Prince Gushichan of the Ryukyu Kingdom, one original and one rebuilt by descendants

  • The Ryukyu Kingdom was once an independent nation; envoys were sent to pledge allegiance to the Tokugawa Shogunate

  • Prince Gushichan fell ill and died in Sunpu, and Tokugawa Ieyasu arranged for his grave to be placed on the highest scenic spot at Seikenji

  • The view from the site stretches across the ocean, symbolically connecting to the land of Okinawa and the Ryukyu Kingdom


【提供】



【ぶらっと清水 第16回】


波音ちゃん「今日のお散歩は、興津の清見寺からスタートです!椿原さん、いま私たちがいるこの道、もしかして東海道ですか?」


椿原さん「そうですよ。ここは、興津宿のど真ん中。振り返ると立派な山門が見えるでしょう?あれが清見寺、臨済宗のお寺なんです。」


波音ちゃん「すごい立派ですね〜。じゃあ、さっそく中に入ってみましょう!」


(階段を上りながら)


波音ちゃん「わぁ、電車が通った! お寺の中を電車が走ってるなんて、珍しいですね!」


椿原さん「実は、昔はしっかりした参道が続いてたんですよ。でも明治22年に東海道線が開通して、境内を突っ切ることになったんです。」


波音ちゃん「へえ、参拝する人たちはもともとまっすぐ本堂まで歩けたんですね。あ、最初の門に『東海名區』って大きな額がありましたよね?」


椿原さん「あれは江戸時代、清見寺に立ち寄った朝鮮通信使の書家が書いたものなんです。『東海』って、東海地方じゃなくて、日本全体を指しているんですよ。」


波音ちゃん「なるほど、日本を讃える意味だったんですね! 朝鮮通信使って、どんな人たちだったんですか?」


椿原さん「戦国時代に日本と朝鮮の国交が断絶してしまったけど、江戸時代に徳川家康が復活させたんです。その友好の証として送られてきたのが、朝鮮通信使ですね。」


波音ちゃん「じゃあ、家康が駿府にいたから、ここ清見寺にも来たんですね?」


椿原さん「そうなんです。清見寺を宿舎にして、当時の住職と漢詩を交わしながら交流していたんですよ。実は、その漢詩の数々は今も清見寺に残っていて、ユネスコの世界記憶遺産にも登録されています。」


波音ちゃん「すごい!木の板に刻まれて本堂に掲げられてるんですよね?今度、ぜひ見に行きたいです!」


(さらに階段をのぼって)


波音ちゃん「ここから海が一望できますね〜!今日はあいにくの雨だけど、清水港やクレーン、JAMSTECの船『ちきゅう』まで見えます!」


椿原さん「晴れていたら、もっと遠くに三保半島も見えて、海と空が一本線で繋がる景色が楽しめますよ。」


波音ちゃん「絶対、晴れた日にリベンジします!それにしても…あそこにあるのは何でしょう?」


(琉球国・具志頭王子の墓の前で)


波音ちゃん「『琉球国・具志頭王子のお墓』って書いてありますね。琉球って、今の沖縄ですよね?」


椿原さん「そうです。江戸時代、琉球は独立した国でした。徳川家康に拝謁するために、琉球国からも使節団が来たんです。でも具志頭王子は駿府で病気になり、亡くなってしまったんですよ。」


波音ちゃん「それで、ここ清見寺にお墓が建てられたんですね。海を見渡せる場所に…。」


椿原さん「はい。清水港の先に広がる海を通して、故郷・琉球を思って…そんな願いが込められているんです。」


波音ちゃん「この海が沖縄まで繋がっていると思うと、なんだか胸が熱くなりますね…。もう少し、この景色を眺めていたいです。」



【観光案内ガイド風】

ようこそ!清水へ!

ようこそ!清水へ!

今日は、静岡・清水区の歴史ある「清見寺(せいけんじ)」を中心に、皆さんをご案内します。それでは、さっそく旅を始めましょう!

さて、今私たちが立っているこの道、実は東海道なんです。そう、江戸時代、江戸と京都を結んだあの東海道のど真ん中、ここ興津宿のまさに中心にいるんですよ。

目を上げると、立派な山門が見えますね。あれが、今日の主役、臨済宗の名刹「清見寺」です。さあ、中に入っていきましょう。

階段を登っていくと…あっ、電車の音が!驚くかもしれませんが、清見寺の境内をJR東海道本線が横切っているんです。実は、明治22年に鉄道が敷かれたとき、参道のど真ん中を通してしまったため、こんな珍しい光景になったんですよ。

本来なら、山門から真っすぐ本堂まで、落ち着いて歩けたはずなのに…。歴史のいたずら、ですね。

最初の門の上、見上げてみてください。「東海名區(とうかいめいく)」と書かれた大きな額が掲げられています。これは、江戸時代に清見寺を訪れた朝鮮通信使の書家が書いたものなんですよ。「東海」というのは、地方名ではなく「日本全体」を指しています。つまり、「日本の名勝、清見寺」という意味。外国からも称えられるほど、清見寺は美しい場所だったんですね。

さて、その朝鮮通信使について少しお話しましょう。

豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶していた日本と朝鮮の国交を、江戸時代初期に徳川家康が回復しました。その友好の証として、朝鮮通信使が日本に送り込まれたのです。駿府城にいた家康に拝謁し、そしてこの清見寺に立ち寄り、当時の住職と漢詩を通じて交流を深めました。その時に交わされた漢詩の数々は、今も清見寺に大切に残され、世界記憶遺産にも登録されています。

本堂には、紙に書かれた漢詩を木板に刻んだものが並び、誰でも見学できるんですよ。本当に壮観な光景です!

さらに上に登ると、目の前に清水港が広がります。今日は少し雨模様ですが、晴れた日には、三保半島がたなびくように見え、空と海の境界線が一直線に伸びる絶景が楽しめます。まさに、自然が描いたアートですね。

そして、さらに奥へ進むと、不思議なお墓に出会います。

それは「琉球国・具志頭王子」のお墓。琉球王国(現在の沖縄)から使節として来日し、徳川家康に拝謁した王子が、駿府で病に倒れて亡くなってしまったのです。家康は哀れに思い、清水港を望み、その先に広がる琉球の地を想うことができる場所、つまりこの清見寺のいちばん眺めの良い場所にお墓を建てさせました。

この広がる海が、遠く沖縄まで続いていることを思いながら、ぜひ、しばらく景色を楽しんでくださいね。

それでは、次の場所へ向かいましょう!



Welcome to Shimizu!

Today, I’ll be guiding you through the historic "Seikenji Temple" located in Shimizu Ward, Shizuoka City.Let's begin our journey!

Right now, we are standing on a very historic road—the Tokaido.This road once connected Edo (now Tokyo) and Kyoto during the Edo period. We are right at the center of Okitsu-juku, one of the old post towns along the Tokaido.

Looking up, you can see a magnificent temple gate—that's Seikenji Temple, belonging to the Rinzai school of Zen Buddhism.Let's go inside!

As we climb the stone steps... Oh, did you hear that train?Believe it or not, the JR Tokaido Line runs right through the temple grounds!When the railway was built in 1889, it unfortunately cut straight through the temple’s traditional pathway. Quite an unusual sight, isn't it?

Originally, visitors would have walked peacefully from the gate straight to the main hall.

Now, look above the entrance gate. There's a large plaque that reads "東海名區" (Tokai Meiku).This was written by a calligrapher from the Korean Joseon Tongsinsa (diplomatic mission) who visited during the Edo period.Here, "Tokai" doesn't just mean the Tokai region—it means Japan as seen from the Korean Peninsula.In other words, it celebrates Seikenji as one of the most beautiful places in Japan!

Speaking of the Joseon Tongsinsa...

During the late 16th century, relations between Japan and Korea were broken due to war.However, Tokugawa Ieyasu restored diplomatic ties, and Korea sent these friendly missions to Japan.The envoys visited Seikenji, where they exchanged poems with the learned temple monks. Many of these poems survive today and are registered as UNESCO Memory of the World heritage.

Inside the main hall, you can see large wooden boards engraved with these poems. It’s truly breathtaking!

As we climb further up, a panoramic view of Shimizu Port spreads before us.Even on a rainy day, you can see the port, cranes, and the famous JAMSTEC research vessel "Chikyu."On a sunny day, you can even see Miho Peninsula stretching out into the ocean, and the horizon between the sky and sea becomes a single straight line—a natural work of art.

Going deeper into the temple grounds, you will find a very special tomb: the grave of Prince Gushichan of the Ryukyu Kingdom (modern-day Okinawa).He came to Japan as an envoy to meet Tokugawa Ieyasu but sadly fell ill and passed away in Sunpu (modern Shizuoka).Out of compassion, Ieyasu ordered that his grave be built at the temple’s highest and most scenic spot, overlooking the ocean that connects to Ryukyu.

Imagine the ocean stretching all the way to Okinawa as you take in the beautiful, expansive view.

Now then, shall we move on to our next destination?



【放送内容のテキスト文面】


おっはの~ん。

清水港擬人化キャラクター七海波音です。

第一回 ぶらっと清水、始まります。

清水のいろんな場所をぶらっと歩きながら、素敵な魅力を発見して、お伝えしていきます。


この番組は、

清水をみんなで盛り上げたい、

するが企画観光局、

魅力ある清水をつくる会、

鈴与グループ、

清水港振興の提供でお送りいたします。


今日のお散歩のスタートは、興津の清見寺から出発です。


椿原さん今、私達は清見寺の駐車場にいるのですが、もしかして、この目の前に見える道路が東海道ですか。


これはまさしく東海道で、今、興津の宿場の真ん中辺りにいます。


ね、この振り返って山側を見ると、山門があって、大きな立派なお寺が見えますけども、これが清見寺という臨済宗のお寺になります。


ちょっと何か入っていきましょうかね。


はい、今、中の階段を上ってきました。


階段の先にあるのをくぐったところで、いきなり電車が来ました。


お寺の中に電車が通っているというのは、なかなか珍しいのではないかと思うのですが、、この線路が引かれる前は、元々、道が通っていたのででしょうか。


そうですね、お寺さんなので山門が続いて、本堂に入っていくようになってたんですけども、明治22年ですか、東海道線が通ったときに、そのちょうど境内の真ん中を通ってしまったものですから、今のような状況になってますね。


そうなんですね。


元々は、しっかりとした参道があって、お参りする人々は、そこを通って本堂へと入っていったんですね。


あの、気がつきましたが、一番最初の門のところに大きな額がかかってましたでしょう。

見てみると、東海名區って読めますよね。


これは江戸時代に、この清見寺の前を通って、清見寺にも寄って江戸に向かった、朝鮮国の使節、その使節の中で書のうまかった人、その人が書いたものなんですよ。


東海名區って書いてあるんですけども、東海っていうのは東海地区っていうふうに考えがちなんですけども、朝鮮半島半島から行くと日本が東海、東の海にあったんで、これは日本っていう意味です。


ですので、日本の名勝、清見寺という意味になります。


なるほど。

東海とは、地方のことではなくって、日本全体のことを指すんですか。

それは誤解していました。


朝鮮からの使節、朝鮮通信使の名前は興津フェアなどのお祭りで聞いたことがありました。

でも実際、朝鮮通信使とはどんな人たちで、どんな目的で日本へ来ていたのかよく知らないので教えてもらえますか。


はい。元々ですね、朝鮮通信使は、日本の豊臣秀吉が戦国時代の終わりに朝鮮半島に侵攻しましたよね。


日本と朝鮮とは国交が断絶してしまったんでですけども、江戸時代になって、徳川家康が将軍になったときに、まず、国交断絶になってしまったのを何とか、外交を復興したいということで、朝鮮国に話をしまして、朝鮮国の方から幕府に友好使節団として朝鮮通信使が送られるようになりました。


戦国時代以降に断絶した朝鮮との国交を復活させるための友好使節団として送られてきたのが、この朝鮮通信使だったんですね。


でも、椿原さん、朝鮮からの通信使が、なぜこの清水の清見寺と関わりがあるんでしょうか。


一番最初のときには、慶長年間ですので、まだ徳川家康は駿府城に住んでおりました。


ですので、駿府城にいる徳川家康に拝謁をした後に、清見寺にもよって、清見寺を宿舎にしたりとか、御休所にしたりとかして、当時の住職も学の高い方でしたので、朝鮮通信使の方たちと漢詩によって、漢文の詩ですよね、それで交流を図ったということです。


それでかなりの数の朝鮮通信使の資料が、清見寺には残っております。


実は、ユネスコの世界文化遺産に登録した資料もたくさん残っておりますので、フェルケール博物館に借用をして、一気に皆さんに見ていただいたこともございます。


家康が静岡にいたから、この清水の地域まで、朝鮮通信使の方々が来て、清見寺で休まれていたんですね。


では、その通信使と住職が交わした漢詩は、清見寺に行けば見ることができるんですか。

はい。

40数点がユネスコの文化遺産に、確か登録されてるんですけども、本物は紙に書いてありまして、それについては、通常は保管庫に収蔵をしております。


それで実はですね、その紙に書かれたものを、木の板に写して、木の板に写したのは、どうも朝鮮通信使が5回か6回、清見寺に寄ってるんですけども、その漢詩を板に書いて、刻んで掲げたらどうかっていう案を出したようですね。


ご住職がその通りに板に刻んだものを作りまして、それを本堂の中に掲げてあります。


壮観ですよ。見ると。

本当に壮観な状況なんですけども、それは、本堂に入れば、いつもご覧になることできますので、そちらの木の板も、静岡県の指定文化財になってます。


本堂に、当時の住職が刻んだ木の板があるんですね。


清見寺は文化財の宝庫ですね。


今日は時間の都合で本堂まで見ることができないので、ぜひ改めて本堂も見に行きたいと思います。


お話をしている間に、階段を上り切って上の方までやってきました。

ここからの景色は、海を一望できていいですね。

残念ながら今日雨が降ってしまっているんですが、それでも清水港を見渡せます。

晴れていたらもっと綺麗なんだろうな。


私もここから見る景色はものすごい好きなんですけども、今日あいにく雨です。


今日は土砂降りですが、それでも、清水の港のガントリークレーンとか、それからすごく大きなJAMSTECの「ちきゅう」であったりとか、本当でしたらね、その右の向こうには、な、たなびくような形で三保半島が見えて、それとその向こう側に、キラキラキラキラ水面が見えるんですけども。

空と海の境が直線に見えるっていう、そういう風景が、ここから眺めることできますね。


そうなんですね。

せっかく来たのに残念です。

これは、晴れた日にリベンジしなければ、さらに少し登っていくと、一番上まで来たみたいですね。

あれは何でしょうか。


琉球国・具志頭王子(りゅうきゅうこく・ぐっしあんおうじ)の墓と書かれていますが、これは一体何ですか。


こちらですね、2つお墓が前と後ろにあるんですけども、本来の墓が奥のもので、後に子孫によって建て替えられたのが、手前のお墓になるんですけども。

はい、実はですね、先ほど朝鮮通信使の話をしたんですけども、江戸時代の初めにですね、琉球、今の沖縄県にあたりますけども、琉球の国は、日本とはまた別の国だったんですよね。


琉球国というだけあって、日本とは別の国とされていたんですよね。

琉球国と、静岡とはどんな関係があったんでしょうか。


はい。

徳川家康が日本を統一したときに、薩摩の国が琉球を日本の一部としてするために兵を送ってるんですね。


琉球国は、戦の後に徳川幕府に従いますということで恭順を示したんですけども、その恭順して友好を深めるために、薩摩の国の太守と一緒に、駿河の徳川家康、駿府城にいたときの家康ですね、それから、江戸幕府の将軍であった秀忠が江戸におりましたので、2人に挨拶をするために、はい、上っていくんですよね。


駿府にお城があって、そこに徳川家康がいた時代には、琉球国や朝鮮国のなど、国外からお客さんが家康に会いに、この静岡によく来ていたんですね。


ところで、琉球国の王子が清見寺に来ていたということはわかりましたが、なぜ、他国の王子のお墓が、この清水に建てられているんでしょうか。


慶長の15年ですから1610年ですね。

徳川家康に拝謁をしたんですけども、具志頭王子というのは琉球国王の弟にあたる人です。病気になってしまって、10日くらいした後だったでしょうかね、駿府で亡くなってしまいました。


そのまま、お兄さんである国王は役目がありましたので、江戸に行ったんですけども、徳川家康は、その具志頭王子を憐れんで、また、琉球国が幕府に恭順を示したけども、国賓として使節に対応をしておりましたので、それで、駿府の中でも、琉球の国を見渡せるような場所をということで考えて。清見寺の、最も高い部分に、琉球を見渡せる場所を終の住処として、お墓の場所にしたということです。


そうだったんですか。


清水港を一望でき、さらには海で繋がった、その先の琉球国の地を見渡せる、この清見寺のの一番眺めの良いところに具志頭王子のお墓が建っているんですね。


目の前に広がった海が、沖縄まで繋がっていることを思いながら、もう少しこの景色を眺めていたいと思います。

はい、ありがとうございました。


あっという間にお時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。

来週もまたお楽しみにです。


この番組は、

清水をみんなで盛り上げたい、

するが企画観光局、

魅力ある清水をつくる会、

鈴与グループ、

清水港振興の提供でお送りいたしました。

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