ぶらっと清水【第27回】伏見さんと清水寺4/3匹の動物の石と明治天皇が滞在した書院で逆さ葵探し/Exploring Seikenji with Mr. Fushimi, Part 4: Three Animal-Shaped Stones and the Search for the Upside-Down Hollyhock in Emperor Meiji’s Reception Hall
- 2 日前
- 読了時間: 25分
<今日のお散歩まとめ>
清水区興津にある清見寺は、1300年を超える歴史を持ち、朝鮮通信使や皇室との交流、古代の関所「清見関」の記憶を伝える禅寺です。
本堂の裏手には自然の傾斜を生かした庭園があり、山の中腹にある「九曲泉の滝」から流れる水の音を聞くことができます。
九曲泉の滝は、木々の葉が落ちた冬の雨上がりなどに姿を現し、朝鮮通信使の記録にも、水量の豊かな立派な滝として残されています。
庭園には、明治天皇の内親王である常宮さまがお手植えになった紅梅があり、早春には鮮やかなピンク色の花を咲かせます。
庭園に面した書院は、江戸時代末期の慶応3年(1867年)に完成し、身分の高い方を迎える「玉座」が設けられています。
明治天皇は、明治2年(1869年)の東京への移動と、明治11年(1878年)の東海・北陸地方巡幸の際に清見寺を訪れています。
玉座には、若竹の成長を描いた狩野派の屏風絵や、中央に向かって高くなる「折上格天井」があり、格式の高い空間となっています。
書院の釘隠しや障子の桟には三つ葉葵の御紋が使われ、その中には「未完成の美」を表すとされる、上下が逆になった「逆さ葵」が一つ隠されています。
書院の欄間には、清見寺の前身である清見関の建物に使われていたと伝わる4枚の古材が、独特な形を生かして再利用されています。
書院には、清見寺の住職を務め、後に妙心寺派の管長となった古川大航による達磨の水墨画も伝えられています。
清見寺の僧侶たちは、仏教だけでなく、歴史、和歌、茶道、水墨画などにも通じ、朝鮮通信使とは漢字による筆談で交流しました。
清見寺は、庭園や建築の美しさとともに、皇室とのつながりや国を超えた文化交流、1300年にわたる歴史を感じられる場所です。
Seikenji Temple, located in Okitsu in Shimizu Ward, is a Zen temple with more than 1,300 years of history, preserving memories of cultural exchange with Korean diplomatic missions, connections with the Imperial Family, and the ancient Kiyomi-no-seki barrier station.
Behind the main hall is a garden created along the natural hillside, where visitors can hear water flowing from the Kyūkyokusen Waterfall.
The waterfall is most visible in winter after the leaves have fallen and following rainfall, and historical records by Korean diplomatic missions describe it as an impressive waterfall with an abundant flow of water.
The garden contains a red plum tree planted by Princess Tsune, a daughter of Emperor Meiji, which produces vivid pink blossoms in early spring.
The shoin reception hall facing the garden was completed in 1867, near the end of the Edo period, and contains an elevated room known as the Imperial Seat.
Emperor Meiji visited Seikenji in 1869 while traveling to Tokyo and again in 1878 during an imperial tour of the Tōkai and Hokuriku regions.
The Imperial Seat features a Kanō-school folding screen depicting the vigorous growth of young bamboo and an elaborate coffered ceiling that rises toward the center.
Three-leaf hollyhock crests appear on decorative nail covers, wooden frames, and other parts of the shoin, including one hidden upside-down crest said to represent the beauty of incompleteness.
Four unusually shaped wooden panels in the shoin’s transoms are believed to have been reused from Kiyomi-no-seki, the ancient barrier station that preceded the temple.
The shoin also preserves an ink painting of Bodhidharma by Furukawa Daikō, a former head priest of Seikenji who later became head of the Myōshinji branch of Rinzai Zen Buddhism.
The temple’s priests studied history, classical poetry, the tea ceremony, and ink painting as well as Buddhism, and communicated with Korean diplomatic missions through written Chinese characters.
Through its garden, architecture, imperial connections, and history of international exchange, Seikenji offers visitors a glimpse into more than 1,300 years of Japanese history and culture.
【提供】
いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。
日の出で遊ばう、清水港振興。
静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。
静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。
【ぶらっと清水 第27回】
木々の奥から聞こえる「九曲泉の滝」
波音ちゃん:さあ、今週も興津の清見寺をじっくり見ていきましょう!
解説は、清見寺でボランティアガイドをされている伏見さんです。
今回は建物を一歩出て、本堂の裏手にあるお庭から、ぶらっとスタートしようと思います。
お庭にある池に近づくと、水が流れる音が聞こえてきますね。この音は、どこから聞こえてくるのでしょうか。
伏見さん:今、ものすごい音がしていますが、この中腹に、とても大きな滝があるんですよ。
ただ、この周りは紅葉なんですね。今の時期は葉が茂っているので、せっかく立派な滝があるのに見えないんです。
朝鮮通信使がこのお寺に来たときにも、「立派な滝で、水量も豊かだ」と記述に残されています。その昔から、有名な滝だったのだと思います。
固有名詞では「九曲泉」といいます。「九つ曲がる泉」と書いて、「九曲泉の滝」と呼ばれています。
残念ながら、今は見えませんね。
この滝が見えるのは、冬になって紅葉の葉が落ちたあとです。さらに大雨が降ったときには、滝の全貌を見ることができます。
波音ちゃん:ここに滝があるんですね。
ちょうど木に隠されてしまっていて、その姿は見えません。朝鮮通信使が来ていた時代から、ずっと流れ続けている滝なんですね。
寒くなって、視界を遮っている葉が落ちた頃に、またリベンジしたいです。
さあ、お庭をもう少し進んでいきましょう。
それにしても、かなり広いお庭ですね。10メートルくらいはありますかね。お寺の中ですが、よいお散歩になりそうです。
常宮さまがお手植えになった紅梅
波音ちゃん:先ほどお話ししていた場所から、少し離れたところに来ました。
木に看板がありますが、これはどういった木なのでしょうか。
伏見さん:看板には「常宮お手植え」と書いてあります。
常宮さまは、明治天皇の内親王、つまり女のお子さまですね。明治23年頃だったと思いますが、妹さまとお二人でおいでになったときに、この木を植樹されたそうです。
早春になると、目の覚めるような紅梅が咲きます。とてもきれいなピンク色なんですよ。
清見寺には、明治天皇や皇后さま、大正天皇や皇后さまをはじめ、皇太子時代の方など、多くの皇族がおいでになっています。
これは、そのときに植樹された「常宮さまお手植えの紅梅」ということですね。
波音ちゃん:これは、明治天皇の内親王がいらっしゃって植えた木なんですね。
今は梅の季節ではないので、あまりよく分かりませんが、目の覚めるような紅梅は、ぜひ見てみたいですね。
では、お庭を一通り見てきましたので、建物のほうへ進んでいきましょう。
明治天皇をお迎えした書院と玉座
波音ちゃん:目の前に、畳の敷かれたお部屋がいくつもある、広い建物があります。
奥のほうには「玉座」と書かれたお部屋もありますが、こちらはどういった建物なのでしょうか。
伏見さん:この建物は「書院」といいます。
ここは上段の間ですから、上位の方がおいでになるお部屋だということが、一目で分かるようになっています。
この書院は、幕末に建て替えられた建物です。完成したのは慶応3年です。慶応4年には明治元年へ改元されますから、江戸時代の本当に最後の頃に建てられた書院ですね。
その後、最初に身分の高い方がおいでになったのが、明治天皇だったそうです。明治2年3月に、一度おいでになっています。
波音ちゃん:お寺の大切なお客さまをお迎えするための場所なんですね。
見ただけでも、本堂などのほかのお部屋とは違い、装飾も豪華な気がします。ここなら天皇がいらっしゃっても、十分なおもてなしができそうですね。
伏見さん:天皇さまは、それまでずっと京都にお住まいでしたが、明治政府によって東京が新しい都に変わりました。東京遷都ですね。
天皇さまも東京にお住まいになるということで、鳳輦という天皇専用の輿に乗って、各地で休息しながら東京へ向かわれました。
鳳輦は、上に鳳凰という鳥がついている立派な輿です。明治2年3月においでになったとき、この清見寺が休息所になったそうです。
もう一度は、明治11年です。東海・北陸地方を巡幸されたときにも、ここへおいでになっています。
明治天皇が2回おいでになった、大変格式の高いお部屋ということになりますね。
波音ちゃん:明治天皇は、2回もこちらへいらっしゃっていたんですか。
それだけ清見寺が格式の高いお寺であることが、改めて分かりますね。
狩野派の屏風絵と折上格天井
伏見さん:身分の高い方をお迎えするお部屋には、格式を表す、特徴的なものが必要です。
後ろにある屏風絵は、狩野派の絵師が描いたものです。若竹の成長が、とても力強く描かれている屏風絵だと伝わっています。
それから、この天井もご覧ください。
玉座の天井は「折上格天井」という形です。周囲が曲面になっていて、その上部が格天井になっています。それらをつなぎ合わせるように造られているので、「折上格天井」と呼ばれています。
先ほどの本堂は、折り上げのない格天井でした。こちらには折り上げがありますから、大変高級な造りになっているということですね。
波音ちゃん:天井は中央に近づくほど高くなっているので、お部屋が広々と感じられますね。
玉座の後ろには、黄金の立派な屏風が飾られています。ドラマなどでよく見る、典型的な偉い人が座る場所という感じがします。
書院の中に隠された「逆さ葵」
伏見さん:このお部屋は、三つ葉葵の寺紋がたくさん使われているお部屋です。
釘隠しのところにあるものは、すぐに分かります。
それから、お部屋の障子の桟にも、透かしの御紋が入っています。今日は外が少し暗いので分かりづらいのですが、よく見ると、葵の御紋がいろいろなところにあります。
探しながら見ていただくと、楽しいですね。
波音ちゃん:確かに、いろいろなところに葵の御紋がついています。
何個あるのか探しながら、数えてみるのも面白そうですね。
伏見さん:もう少し面白いものがあります。
三つ葉葵は、葉が二つと一つに分かれて、バランスよく並んでいるでしょう。
この中に、向きが逆になっている御紋が一つあるんです。
波音ちゃん:三つの葉が、きれいな三角形のように並んでいるのが、普通の葵の御紋ですよね。
逆三角形になっている御紋があるんですか。
あそこに一つ……ありました!
伏見さん:あったでしょう。これは「逆さ葵」といいます。
私はずっと、造るときに間違えたのではないかと思っていたんです。
ところが、ある人に聞いたところ、「これは意図的に造られたものだよ。久能山東照宮にも、日光東照宮にもあるものだよ」と教えてくれました。
「未完成の美」といって、少し縁起を担いでいるらしいんですね。
この清見寺にもあります。
日光まで行くのは遠いですが、今度、久能山東照宮へ行ったときに、「逆さ葵の御紋はどこにありますか」と聞いてみてください。場所を教えてくれるかもしれませんね。
楽しいですね。
波音ちゃん:「隠れキャラクターを探せ」のような、隠し要素があって楽しいですね。
すべてが同じではなく、完全ではないからこそ美しい、ということですかね。
逆さ葵の詳しい場所は内緒にしておきます。清見寺に来た方は、ぜひ書院の中で探してみてください。
1300年前の清見関の古材を使った欄間
波音ちゃん:逆さ葵を探しているときに、もう一つ気になったものがあります。
お部屋の襖の上にある欄間が、ほかでは見たことのない面白い形をしています。こちらにも、何かこだわりがあるのでしょうか。
伏見さん:清見寺の欄間には、少し変わった形の板が4枚使われています。
これは、清見寺の前身である「清見関」の建物に使われていた古材です。
天武天皇が「ここに関所を造りなさい」と命じて造られた、その関所の建物の古材を再利用したものなんです。
波音ちゃん:天武天皇の時代に建てられた関所で使われていたものを、そのまま欄間として使っているんですか。
古き良きものを活用していて、なんだかおしゃれですね。
伏見さん:この形から、皆さんがいろいろなものを連想されるのだと思います。
技術的な評価も高く、最近では「モダンアートのようだ」という方もいらっしゃいます。写真を撮ったり、その経緯を聞いたりする方も多くなっています。
1300年前に建てられたといわれる清見関。その建物に残されていた板材を、再利用したものなんですね。
波音ちゃん:1300年も前のデザインだとは思えないほど、おしゃれです。
現代の古民家カフェにもありそうな感じですね。
歴代の住職が受け継いできた文化
波音ちゃん:あちらの床の間のようなところには、水墨画が飾られていますね。
こちらは、どういったものなのでしょうか。
伏見さん:これは、達磨さんを描いた、とても立派な水墨画です。
作者は、古川大航という、清見寺の立派な和尚さんです。
清見寺の住職を務めていた方ですが、とても優秀な方でした。清見寺の本山は妙心寺ですが、その妙心寺派の管長も務めた偉い方の作品です。
清見寺は禅宗、詳しくは臨済宗のお寺です。
歴代の和尚さんたちは、お経や仏さまのことに精通しているのはもちろんですが、文化的なことも非常に勉強されています。
歴史、和歌、お茶、水墨画など、さまざまな分野に通じているんですね。
だから、朝鮮通信使が来たときにも、きちんと応対することができました。
言葉は分からなくても、紙に漢字を書いてやり取りする「筆談」によって、意思を通じ合わせたんです。
そうしたことができる和尚さんたちが、清見寺には歴代いらっしゃったということですね。
波音ちゃん:代々、清見寺の住職は、優秀な方が務められてきたんですね。
仏さまのことだけではなく、歴史や絵画、ほかの国の文化まで学ばれていたと聞くと、仏教の奥深さを感じます。
伏見さん、ありがとうございました。
あっという間にお時間が来ましたので、楽しいお話もここまでです。来週も、またお楽しみに!
【観光案内ガイド風】
ようこそ!清水へ!
清水区興津にある清見寺は、1300年を超える歴史を持つ禅寺です。境内には、朝鮮通信使との交流や皇室とのつながり、さらに、この地に置かれていた古代の関所の記憶が残されています。建物や庭園の美しさだけでなく、日本の歴史と文化が幾重にも重なっているところが、清見寺の大きな魅力です。
本堂の裏手には、山の自然な傾斜を生かした広い庭園があります。池の近くで聞こえる水音は、山の中腹にある「九曲泉の滝」から流れてくるものです。
木々の葉が茂る季節には、滝の姿が隠れてしまいます。しかし、紅葉の葉が落ちる冬になり、さらに雨が降ったあとには、水が流れ落ちる様子を見ることができます。
この滝は、朝鮮通信使が清見寺を訪れていた時代から知られていました。当時の記録にも、立派な滝で水量が豊かだったことが書き残されています。姿が見えない季節でも、その水音から、長い歴史の流れを感じていただけることでしょう。
庭園には、明治天皇の内親王である常宮さまがお手植えになった紅梅もあります。早春になると、目の覚めるような美しいピンク色の花を咲かせます。清見寺には、明治天皇や大正天皇をはじめ、多くの皇族が訪れてきました。この紅梅も、清見寺と皇室との深いつながりを今に伝えています。
庭園に面して建つ書院は、江戸時代の終わりにあたる慶応3年、1867年に完成しました。書院の中には、身分の高い方を迎えるための上段の間があり、「玉座」と呼ばれています。
明治天皇は、東京へ向かわれた明治2年、1869年に清見寺で休息されました。その後、明治11年、1878年の東海・北陸地方巡幸の際にも訪れています。明治天皇を二度お迎えした玉座は、この書院の格式の高さを象徴する場所です。
玉座の後ろには、若竹の力強い成長を描いた、狩野派の絵師による屏風絵が置かれています。天井は「折上格天井」と呼ばれる造りです。周囲から中央に向かって高くなるため、部屋全体が広々と感じられます。屏風絵や天井の造りからも、大切な方を迎えるために用意された特別な空間であることが伝わってきます。
書院の中では、徳川家の家紋として知られる三つ葉葵も探してみてください。釘隠しや障子の桟など、さまざまな場所に葵の御紋が使われています。
その中には、上下が逆になった「逆さ葵」が隠されています。これは造り間違いではなく、あえて完全な形にしない「未完成の美」を表したものだと伝えられています。同じような逆さ葵は、久能山東照宮や日光東照宮にも見られます。清見寺の逆さ葵がどこにあるのか、ぜひ見つけてみてください。
書院の欄間には、少し変わった形をした4枚の板が使われています。この板は、清見寺の前身である古代の関所「清見関」の建物に使われていた古材だと伝えられています。
清見関は、天武天皇の時代に設けられたとされる関所です。およそ1300年前の建物に使われていた板が、形を変えて現在まで受け継がれているのです。その独特な形は、現代のモダンアートにも通じるような、不思議な美しさを感じさせます。
清見寺には、歴代の住職が育んできた文化も残されています。書院に伝わる達磨の水墨画は、清見寺の住職を務め、後に妙心寺派の管長となった古川大航によるものです。
禅寺の僧侶たちは、仏教だけでなく、歴史や和歌、茶道、水墨画など、幅広い文化を学んできました。朝鮮通信使が訪れた際には、互いの言葉が分からなくても、漢字を使った筆談によって意思を通わせました。清見寺は、祈りの場所であると同時に、国や文化を超えた交流の場所でもあったのです。
庭園を流れる水の音、皇室を迎えた書院、ひっそりと隠された逆さ葵、そして1300年前の記憶を伝える古材。清見寺に残る一つひとつのものから、この場所が歩んできた長い時間を感じてみてください。
Welcome to Shimizu!
Located in Okitsu in Shimizu Ward, Seikenji is a Zen temple with more than 1,300 years of history. Its grounds preserve memories of cultural exchange with Korean diplomatic missions, connections with the Imperial Family, and an ancient barrier station that once stood in this area. The temple’s appeal lies not only in the beauty of its buildings and garden, but also in the many layers of Japanese history and culture found here.
Behind the main hall is a spacious garden created along the natural slope of the hillside. The sound of flowing water near the pond comes from a waterfall called Kyūkyokusen, meaning “the spring of nine bends.”
During the seasons when the trees are covered with leaves, the waterfall is often hidden from view. In winter, after the autumn leaves have fallen, the waterfall may become visible, especially following rainfall.
The waterfall was already well known when Korean diplomatic missions visited Seikenji during the Edo period. Records from that time describe it as an impressive waterfall with an abundant flow of water. Even when the waterfall itself cannot be seen, its sound offers a sense of the long passage of history.
The garden also contains a red plum tree planted by Princess Tsune, a daughter of Emperor Meiji. In early spring, it produces vivid pink blossoms. Emperor Meiji, Emperor Taishō, and many other members of the Imperial Family visited Seikenji. This plum tree continues to represent the temple’s close connection with the Imperial Family.
Facing the garden is the shoin, a formal reception building completed in 1867, during the final years of the Edo period. Inside is a raised room reserved for people of high status. It is known as the Gyokuza, or Imperial Seat.
Emperor Meiji rested at Seikenji in 1869 while traveling toward Tokyo. He visited the temple again in 1878 during an imperial tour of the Tōkai and Hokuriku regions. The fact that the emperor was received here twice reflects the exceptional status of this room.
Behind the Imperial Seat is a folding screen painted by an artist of the Kanō school. The young bamboo depicted on the screen grows upward with strength and vitality.
Above is an elaborate coffered ceiling known as an oriage-gōtenjō. The ceiling rises toward the center, giving the room a greater sense of height and space. Together, the folding screen and ceiling show that this was a special room designed to welcome honored guests.
Throughout the shoin, you will also find the three-leaf hollyhock crest associated with the Tokugawa family. The crest appears on decorative nail covers, wooden frames, and other architectural details.
Among them is one unusual crest placed upside down. Known as the “Upside-down Hollyhock,” it is said to have been created intentionally rather than by mistake. It represents the beauty of incompleteness—the idea that something deliberately left imperfect may invite continued growth and good fortune.
Similar upside-down crests can also be found at Kunōzan Tōshōgū and Nikkō Tōshōgū. See if you can discover where the hidden crest is located inside Seikenji’s shoin.
The transoms above the sliding doors contain four unusually shaped wooden panels. These panels are believed to have been reused from Kiyomi-no-seki, the ancient barrier station that preceded Seikenji.
Kiyomi-no-seki is said to have been established during the reign of Emperor Tenmu. Wood that was used in a building around 1,300 years ago has survived by being given a new purpose. Its distinctive form has a mysterious beauty that may even remind modern visitors of contemporary art.
Seikenji also preserves the cultural traditions cultivated by generations of Zen priests. An ink painting of Bodhidharma in the shoin is attributed to Furukawa Daikō, who served as the head priest of Seikenji and later became the head of the Myōshinji branch of Rinzai Zen Buddhism.
Zen priests studied not only Buddhism, but also history, classical poetry, the tea ceremony, ink painting, and many other cultural traditions. When Korean diplomatic missions visited Seikenji, the priests and their guests communicated through written Chinese characters, even though they did not share a spoken language.
Seikenji was therefore more than a place of prayer. It was also a place where people from different countries and cultures could meet, exchange ideas, and understand one another.
The sound of water flowing through the garden, the reception hall that welcomed an emperor, the hidden upside-down crest, and the ancient wood preserving 1,300 years of memory—each feature of Seikenji tells a part of its long and remarkable story.
【放送内容のテキスト文面】
ぶらっと清水【第27回】伏見さんと清水寺(4) 3匹の動物の石と明治天皇が滞在した書院で逆さ葵探し
さあ、今週も興津の清見寺をじっくり見ていきましょう!
解説は、清見寺でボランティアガイドをされている伏見さんにしていただきます。
今回は、建物を一歩出て、本堂の裏手にあるお庭からぶらっとスタートしようと思います。
お庭にある池に近づくと、水が流れる音が聞こえてきますね。
この音はどこから聞こえてくるんでしょうか。
あの実はですね、今ものすごい音がしてるんですけど、この中腹にね、ものすごい大きい滝があるんですよ。
滝があるんですけども、この周りは紅葉なんですよね。
で、今の時期って葉っぱがこう茂るもんですからね。
せっかく立派な滝があるんだけども、見えないんです。
これはですね、朝鮮通信使がこのお寺さんに来た時にですね、立派な滝で水量も豊かだなぁなんてことちゃんと記述に残ってますのでね、その昔から有名な滝だったと思います。
九段の滝っていうことになってますのでね、
固有名詞は九曲泉、九つ曲がる泉って書いて九曲泉の滝って言われています。
残念ながら見えませんね。これが見えるのはですね、例えば冬場になって葉っぱが落ちて、ここ紅葉ですからね、葉っぱが落ちて、その後大雨が掘った時には、全貌が見られます。
ここに滝があるんですね。
ちょうど木に隠されてしまっていて、その姿は見えませんね。
朝鮮通信使が来ていた時代からずっと流れ続けている滝なんですね。
寒くなって視界を遮っている葉っぱが落ちた頃にまたリベンジしたいです。
さあ、お庭をもう少し進んでいきましょう。
しかし、かなり広いお庭ですね。十メートルくらいはありますかね。
お寺の中ですが、いいお散歩になりそうです。
先ほどお話ししていた場所から少し離れたところに来ました。
木に看板がありますが、これはどういった木なんでしょうか。
これは恒宮(つねのみや)手植えとこう書いてありますけども。
これはですね、明治天皇の内親王、まあ女のお子様ですよね。
多分4人ほどおいでになったと思うんですけどね。明治23年かそのぐらいにですね、この方の妹さんとお二人でなんかおいでになった折にですね、これを植樹した。
早春にですね、目で覚めるような紅梅。すごい綺麗なピンクの咲くんですね。
そういった木をね、植樹されていった。
明治天皇皇后さま、大正天皇皇后さま、いろいろ天皇さまとかね、皇太子の時代、皇族の方がいっぱいおいでになってます。
おいでになった方の植樹、常宮様のお手植えの紅梅ですよということですね。
おお、これは明治天皇の内親王がいらっしゃって植えた木なんですね。
今は梅の季節ではないのであまりよくわかりませんが、目の覚めるような紅梅はぜひ見てみたいですね。
では、お庭を一通り見てきましたので、建物の方へと進んでいきましょう。
目の前に、畳の敷かれたお部屋がいくつもある広い建物がありますね。
奥の方に「玉座」と書かれたお部屋もありますが、こちらの建物はどういったものなんでしょうか。
このお部屋はですね、このお部屋自体がですね、書院という建物でですね。
ここは上段の間ですから、上位の方がね、おいでであるお部屋っていうことは、もう一目でわかるようになってるわけですけど。
この建物は幕末に建て替えられた建物なんですね。
慶応3年っていうことになってます。慶応4年っていうのはもう明治元年に改元されちゃいますのでね、もう江戸時代の最後ぐらいに建てられた書院ですよね。
その後、最初に偉い方がおいでになったのは明治天皇だったんだそうでございます。
明治2年の3月にですね、一回おいでになった。
お寺の大切なお客様をお迎えするための場所なんですね。
パッと見ても、本堂など他のお部屋などと違って、装飾なども豪華な気がします。
ここなら天皇がいらっしゃっても十分なおもてなしができそうですね。
天皇さまはずっと京都にお住まいだったんだけど、明治政府によって東京が新しい都にかわりますよね。
東京遷都でですね。
それで天皇さまも東京へお住まいになるということで、明治2年に宝殿というね、天皇家専用の輿、上に鳳凰という鳥がついている立派な輿があるんですけど、それに乗って各地を休息しながらね、東京へ向かったわけですけど、ここがですね、この地の休息所だったんだそうです。
明治2年の3月においでになりました。
もう一度はですね、明治11年にはですね、東海北陸地方巡行という行事があったんだそうで、その折にもここへおいでになってます。
明治天皇は2回ここへおいでになったという大変にこの格式の高いお部屋っていうことになりますかね。
明治天皇は2回もこちらいらっしゃっていたんですか。
それだけ、この清見寺は格式が高いお寺であるということが改めてわかりますね。
そういう偉い方がね、おいでになるお部屋にはやっぱり特徴的なものが必要で、そういったもの格式を表すものが必要で、後ろの屏風絵はですね、狩野派の絵師の方がね描いた、若竹の成長が大変にこう力強く描かれている屏風絵だというふうに伝わっております。
それからあとちょっとこの天井をね、ちょっとご覧いただくことになるんですけども。
この玉座のですね、天井は折上格天井(おりあげごうてんじょう)という形で、寄せ見が曲面になっていて、頂上部が格天井です。
それをつなぎ合わせるような形で作られていますので、折上格天井(おりあげごうてんじょう)っていう形になってます。
先ほど本堂ではね、こうなってないんで格天井だけでしたけど、こっちは折り上げがついてますのでね、大変に高級な作りになっているということになろうかなって思います。
天井は中央に行くほど高くなっているので、お部屋が広々と感じられますね。
玉座も黄金の立派な屏風が背後に飾られていて、ドラマでもよく見るような典型的な偉い人が座る場所という感じがします。
それからこのお部屋はですね、三つ葉葵の御門、お寺の自門の三つ葉葵の御門がいっぱいあるお部屋でしてね。この釘隠しのところにあるのはすぐわかります。
それから、このお部屋の障子の三の手が全部透かしの御門が入っている。
これはね、今日はちょっと外が暗いので分かりづらいんですけどね。これが全部こう入ってるんですか。
こういうあの葵の御紋がね、いっぱいある場所っていうことでね、見ていただくとちょっと楽しいですね、
確かに、いろいろなところに葵の御紋がついています。
何個あるのか探しながら数えてみるのも面白そうですね。
それからね、もうちょっと面白いのはね、この御紋。三つ葉葵っていうのはですね、二つ一つ、二つ一つ、これでバランスよくとってるでしょ。この中にね、逆なのがある。この中のどこかに。
三つの葉がきれいな三角形のように並んでいるのが、普通の葵の御紋ですよね。
逆三角形になっている御紋があるんですかあそこに一つ。
あるでしょ。あった!
ははは!逆さ葵っていってね。なんかこれはね。つくり間違えたんではないかなってずーっと思っていたんですが、実はある人に聞いたら、これは意図的に作ってあるもんだよ。これは久能山東照宮にもあるし、日光の東照宮にもあるものだよ。逆さ葵。未完成の美とか言ってね、ちょっと芸を担いでるらしいんですけどね。
この清見寺にもありますね。
今度は何かの機会にね、日光まで行くのは遠いんですけど、久能山東照宮に行った時に、逆さ葵の御門どこにありますかって聞いていただくと、こうやってね、教えてくれるかもしれませんね。
はい、楽しいですね。
「隠れキャラクラーを探せ」みたいな隠し要素で楽しいですね。
すべて同じではないと完全ではないから美しいということですかね。
逆さ葵の詳しい場所は内緒にしておくので、ぜひ清見寺に来た方は、書院の中で探してみていただきたいです。ところで、逆さ葵を探している時に気になったのですが、中のお部屋の襖の上の部分が、他では見たことがない面白い形だなと思っていました。こちらは何かこだわりがあったりするんですか。
これはですね、このお寺さんのこの欄間にはですね、ちょっと変な形の板がですね、こう4枚使ってあるんですけど、実はこれはですね、このお寺さんの前身、清見関(きよみがせき)、天武天皇が関所を作りなさいよって言った、その関所のね、建物の古材を廃物利用したものなんです。
天武天皇の時代に建てられた関所で使われていたものを、そのまま欄間として使っているんですか。
古き良きものを活用していて、なんだかおしゃれですね。
で、この形がですね、皆さんによっていろんな形に連想していただけるんだろうと思いますけども、結構技術的評価が高いということで、モダンアートなんて人が最近いましてね、結構写真撮られたり経緯を聞かれるケースが多くなっています。
これは1300年前に建てられたと言われる清見関(きよみがせき)のね、建物の板材を、残ってた板材を廃物利用しましたってことですね。
1300年も前のデザインだとは思えないほどおしゃれなデザインです。
現代の古民家カフェにもありそうな感じですね。
あと、あちらの床の間のようなところに飾られている水墨画ですかね。
こちらはどういったものなんでしょう。
これはですね、達磨さんを描いたですね、すごい水墨画ですよね。
で、この作者はですね、このお寺の古川たいこっていうものすごい立派な、和尚さんがいたんですよ。
で、この方はですね、清見寺の住職だったんですが、すごい優秀な方だもんですから、この清見寺の本山は妙心寺です。妙心寺の館長も務めた、こういう偉い方の作品なんですね。
禅宗って言いますけど、禅宗っていうと、臨済師もそうですけど、その和尚さんは歴代ね、和尚さんですからお経とか仏さんのことはもちろん精通してるんですけど、さらに文化的なことも非常に勉強している和尚さんたちなんですね。
だから歴史のこと、和歌だとかお茶だとか水墨画だとか、みんなそういうことも立派なんですね。
ですから朝鮮の通信使が来てもちゃんとお答えできる。
言葉はわからないけど、筆談っていう、紙で漢字でやり取りをするっていうことでね、意志を通じ合ったっていうことで、そういうことができる和尚さんたちがこのお寺にはずっと歴代いたわけです。
代々こちらの清見寺の住職は優秀な方が務められているんですね。
仏様のことだけでなく、歴史や絵画、他国の文化まで学ばれていて、仏教って奥が深いですね。
はい。ありがとうございました。あっという間にお時間が来ましたので、楽しいお話もここまで。来週もまたお楽しみにです。




