ぶらっと清水【第28回】伏見さんと清見寺(5) / 書院のお部屋を探検 三保まで見渡せた清見寺/Exploring Seikenji with Mr. Fushimi, Part 5: Exploring the Shoin , A View from Seikenji to Miho, Fifty Years Ago
<今日のお散歩まとめ>
清見寺は、朝鮮通信使や琉球使節を迎えてきた、日本と海外との交流の歴史を伝える寺院です。
書院には、朝鮮通信使が約400年前に書いたとされる「潜龍室」の墨書きが残されています。
墨書きを和紙へ写し、木の板に彫って白色顔料で仕上げた「懸板」が、本堂に掲げられています。
琉球使節から贈られた三線には、琉球王朝の家紋である三つ巴が入り、2010年に沖縄県人会によって修復されました。
書院には、将軍や天皇を迎えた「玉座の間」と、位の高い僧侶などを迎える「接見の間」があります。
玉座の間には「折り上げ格天井」、接見の間には「折り上げ竿縁天井」が使われ、それぞれ格式の高い造りになっています。
接見の間の板絵には、花鳥のほか、琉球の城や朝鮮の寺院と思われる風景が描かれています。
書院の屋根は、八間、約15メートルにわたる一本の磨き檜と、軒下をめぐる「丸桁」によって支えられています。
書院からは心字池と庭園を望むことができ、風のない雨上がりには、水面にサツキや木々が映ります。
清見寺は古代の関所「清見ヶ関」を起源とし、本堂の回廊には、さすまた、突き棒、袖絡み、長巻などの古い武器が残されています。
血の跡が残る板を使った「血天井」も、清見寺が歩んできた歴史を伝える特徴的な遺構です。
約50年前までは清見寺から三保の松原を見渡すことができ、その景色は「秋晴れや 三保の松原 一文字に」という句に詠まれました。
現在は港の開発によって景観が変わりましたが、古い写真や俳句、建築、文化財から、かつての風景と国際交流の歴史を知ることができます。
Seikenji Temple preserves the history of Japan’s cultural exchange with Korean diplomatic missions and envoys from the Ryukyu Kingdom.
The shoin reception building houses an original work of calligraphy reading “Senryū-shitsu,” believed to have been written by a Korean envoy around 400 years ago.
The original brushwork was traced onto Japanese paper, transferred to wood, carved, and finished with white pigment to create wooden panels known as kakeban.
A sanshin presented by a Ryukyuan envoy bears the three-comma crest of the Ryukyu royal family and was restored by members of the Okinawan community in 2010.
The shoin contains the Imperial Audience Room, used to welcome shoguns and members of the Imperial family, and a formal reception room for distinguished Buddhist priests and other guests.
The Imperial Audience Room has a raised coffered ceiling, while the formal reception room has a raised ceiling finished with long wooden battens.
The painted wooden panels in the reception room depict flowers, birds, a Ryukyuan castle, and what appears to be a Korean temple.
The roof of the shoin is supported by a single polished cypress beam measuring approximately fifteen meters, together with long round beams extending beneath the eaves.
The shoin overlooks Shinji Pond and its garden, where trees and azaleas are reflected on the water after rain on calm days.
Seikenji originated at the ancient Kiyomigaseki checkpoint, and its corridor displays old weapons including a sasumata, a thrusting pole, a sodegarami, and a nagamaki.
The temple’s “bloodstained ceiling,” made with boards bearing traces of blood, is another striking reminder of Seikenji’s long history.
Until around fifty years ago, visitors could look out from Seikenji across the coast to the pine grove of Miho, a view celebrated in the haiku “Under the clear autumn sky, the pines of Miho draw a single line.”
Although port development has changed the landscape, old photographs, poetry, architecture, and cultural treasures still convey Seikenji’s former scenery and its history of international exchange.
【提供】
いつかきっと会えるよね、鈴与グループ。
日の出で遊ばう、清水港振興。
静岡商工会議所の、魅力ある清水を創る会。
静岡の観光振興を推進する、公益財団法人するが企画観光局。
【ぶらっと清水 第28回】
波音ちゃん:
今週も、興津の清見寺をボランティアガイドの伏見さんと一緒にぶらっとしていきましょう。
先週は、明治天皇もいらっしゃったという書院の中で、隠された「逆さ葵」を見つけました。今週は、この書院の造りをもう少し詳しくお話しいただくところからスタートです。
玉座のあるお部屋の隣へ進むと、文字がたくさん書かれた紙が飾られています。こちらは、どういったものでしょうか。
伏見さん:
右から左へ「潜龍室」と書いてあります。これは、朝鮮通信使が墨で書いた本物です。
本堂にあった板は、白い文字で書かれていましたね。あれは、この墨書きに薄い和紙を当て、コンテなどを使ってきれいに模写します。その紙を板に貼り付け、文字の形に沿って彫刻刀で彫ります。
こちらは墨で書かれていますが、向こうの板には白色顔料が使われています。模写した文字を木に彫り写して作るため、「木刻」や「木に写す」といった表現が使われる「懸板(かけばん)」というものです。
波音ちゃん:
これは、朝鮮通信使の方が書いた本物なんですね。
本堂にあった朝鮮通信使の懸板は、この文字の形をなぞって板へ写したものだったんですね。400年ほど前の本物を、こんなに近くで見られるとは、とても貴重です。汚したら怖いので、適度な距離から見ておきます。
さらに奥へ進んでいきましょう。こちらのお部屋には、楽器が飾ってありますね。これは何ですか。
伏見さん:
清見寺は、朝鮮通信使や琉球使節と大変関係の深いお寺です。それぞれの使節から寄進されたものや書などが、数多く残っています。
こちらは、琉球使節からいただいた三線です。琉球王朝からいただいたものですから、琉球王朝の家紋である三つ巴が入っています。
新品のように見えると思いますが、実は2010年が、琉球使節との交流が始まってちょうど400年にあたりました。その記念式典を行った際、かなり劣化していた三線を、沖縄県人会の方々が修復してくださいました。
これから、また200年、300年と受け継がれていくのだろうと思います。
波音ちゃん:
確かに、新品のようにきれいだと思いました。
沖縄と清見寺が今もつながっていることを示す、大切な三線なんですね。
気がつけば、書院の一番奥のお部屋までやってきました。玉座のお部屋と同じような天井で、ほかのお部屋よりも少し豪華に感じます。ここは、どのようなお部屋なのでしょうか。
伏見さん:
この書院には、先ほどの玉座と、このお部屋という二つの立派なお部屋があります。
玉座は対外的に使うお部屋で、将軍様や天皇様がおいでになった場合には、向こうのお部屋を使ったようです。
こちらは、お寺の関係者をお迎えするお部屋です。清見寺の本山は京都の妙心寺ですから、妙心寺から位の高いお坊さんがおいでになった場合などに、このお部屋を使います。
住職がここに臨席してご挨拶をするため、「接見の間」と呼ばれています。こちら側が控えの間、または次の間になります。
波音ちゃん:
こちらも、大切なお客様をお迎えするお部屋なんですね。ほかのお寺から位の高いお坊さんがいらっしゃったときには、今でもこの接見の間でご挨拶をするんですね。
伏見さん:
天井の形にも違いがあります。
玉座の天井は「折り上げ格天井」で、上部が正方形の枠になっていました。こちらも折り上げになっていますが、上部に竿状のものが渡されています。そのため、「折り上げ竿縁天井(さおぶちてんじょう)」と呼ぶそうです。
どちらも高級感のあるお部屋です。
正面には、上下二段の戸棚があり、絵が描かれています。この絵は、柾目の建築用の板へ直接描かれているため、「板絵」と呼ばれています。
下段は花鳥図です。よく見ると、牡丹や野菊、梅、水仙などが描かれています。
上段には、このお寺を訪れた朝鮮や琉球の使節のふるさとが描かれています。左側が琉球のお城、右側が朝鮮のお寺のように見えます。文字は書かれていませんので、絵柄から判断する形になります。
波音ちゃん:
玉座のお部屋と似ていますが、言われてみると天井のデザインが少し違いますね。
玉座の間では、床の間の横に立派な龍が描かれていました。こちらのお部屋では、清見寺と朝鮮や琉球との関係を、絵で表しているんですね。文字で書くよりも、さりげなく豪華に伝えられていていいですね。
お部屋を一通り見てきましたので、いったん廊下へ出てみましょう。
伏見さん:
玉座の前へ戻ってきました。
先ほどお話しできなかったのですが、この書院には畳廊下があります。大勢の人が集まるときには、こうした場所も使えます。
外縁へ出て天井を見上げると、とても長い木が使われています。書院の屋根は丸太で支えられていて、向こう側からここまで、八間を一本の木で通しています。
形のよい、磨かれた檜です。軒下の「丸桁(がんぎょう)」と呼ばれる部分が、つなぎながら建物を一周し、屋根を支えています。
現代では、なかなか見ることのできない造りです。長くて、少し珍しいものだと思います。
波音ちゃん:
八間というと、だいたい15メートルほどですよね。そんなに立派な木が、この建物の屋根を支えているんですね。
これほど真っすぐで立派な檜を見つけるのも、大変だったのではないでしょうか。今の建築物ではあまり見られない、興味深い造りです。
書院の中を一周して解説していただきましたので、また本堂へ戻っていきましょう。
伏見さん:
戻る途中で、もう一度お庭を見ています。
今日は、大変すばらしい景色をご覧いただくことができます。サツキは、来年の花付きをよくするために刈り込みをしました。そこから新芽が吹き、今は緑がとてもきれいです。
雨上がりの心字池の水面が水鏡になり、手前のサツキが映っています。
風があると、このようには見えません。雨が降っていても駄目です。今日は大変恵まれた環境で、池と庭の景色をご覧いただいています。
波音ちゃん:
風がなく、水面に木々が映って本当にきれいですね。
外に出て眺めるのもいいですが、建物の中から窓を通して見る景色も、粋な感じがして私は好きです。
通路を進み、本堂へやってきました。以前通った、落書きなどが残されている回廊とは反対側です。こちらには、さすまたなどの武器が飾られています。
どうして、お寺に武器が飾られているのでしょうか。
伏見さん:
少し物々しい武器が、壁に4本展示されています。
「お寺に殺生の道具があるのは、どうなのだろう」と思う方もいます。しかし、このお寺は清見ヶ関という関所から始まったお寺です。
そのため、敵を撃退するための捕り物道具があったのだろうと思います。その名残として、清見ヶ関で使われた古い武器が残っています。
上から、さすまた、突き棒、袖絡み、長巻です。
清見寺には、課外授業で大勢の小学生が訪れます。学校へ戻った後、感想文を送ってくれるのですが、この古い武器と、先ほどご覧いただいた血天井の二つが、最も人気の高い場所です。
波音ちゃん:
物々しい武器や、血の跡が残っている板を使った天井は、ほかのお寺ではなかなか見られません。とても印象に残りますよね。
もともと関所だった場所に建てられた清見寺だからこそ見られる、特徴的なものだと思います。
回廊の先には、写真も飾られています。見に行ってみましょう。
伏見さん:
地元の写真家の方が、清見寺へ寄進してくださった写真です。この地域の少し古い時代を写したものが残されています。
最も象徴的なのが、こちらの海側を写した写真です。三保の松原が見えています。
今から50年ほど前までは、遮るものが何もなく、清見寺から三保の松原を見渡すことができました。
その景色を見た人が詠んだ句に、
「秋晴れや 三保の松原 一文字に」
というものがあります。
三保の松原が、左から右へ「一」と書いたように見える。そうした豪快な景色を表現しています。
この辺りの海岸は、清見潟と呼ばれる磯の海岸でした。その先に三保の松原が見えていました。砂利浜や砂浜に松原が加わり、強いコントラストのある景色をつくっていたのでしょう。
まさに、景勝の地だったのだと思います。
波音ちゃん:
今見られる景色とは、かなり違いますね。
奥まで遮るものがなく、三保半島まで写っています。句に詠まれたとおり、三保を一望できる、すばらしい景色だったのでしょうね。
今は港の開発が進み、三保まで見渡すことはできなくなりました。私も、その広々とした景色を見てみたかったです。
伏見さん、ありがとうございました。
【観光案内ガイド風】
ようこそ!清水へ!
興津にある清見寺は、長い歴史の中で、朝鮮通信使や琉球使節を迎えてきたお寺です。境内には、日本と海外との交流を今に伝える書画や調度品、建築などが数多く残されています。
書院に残る「潜龍室」の墨書きも、その一つです。これは、朝鮮通信使が約400年前に書いた本物とされています。
清見寺では、このような墨書きに薄い和紙を重ねて文字を写し取り、その紙を板に貼って彫刻刀で彫り、白色顔料で文字を浮かび上がらせました。こうして作られた板は「懸板」と呼ばれ、本堂にも掲げられています。紙に残された筆遣いを木へ写し、長く伝えてきたのです。
書院には、琉球使節から贈られた三線も残されています。胴には、琉球王朝の家紋である三つ巴が入っています。交流開始から400年を迎えた2010年、劣化していた三線は沖縄県人会の方々によって修復されました。清見寺と沖縄との交流が、過去の歴史だけではなく、現在まで続いていることを伝える品です。
書院には、特に格式の高い二つの部屋があります。
一つは、将軍や天皇などを迎えるために使われた玉座の間です。もう一つは、清見寺の本山である京都・妙心寺から位の高い僧侶が訪れた際などに使われる「接見の間」です。住職が来客を迎え、挨拶を交わすための部屋で、その隣には控えの間があります。
二つの部屋は、天井の造りにも違いがあります。玉座の間は、正方形の格子を組んだ「折り上げ格天井」。接見の間は、細長い竿状の材を渡した「折り上げ竿縁天井」です。どちらにも、大切な客人を迎える空間にふさわしい格式が感じられます。
接見の間の戸棚には、板へ直接絵を描いた「板絵」があります。下段に描かれているのは、牡丹や野菊、梅、水仙などの花と鳥です。上段には、琉球の城と朝鮮の寺院と思われる風景が描かれています。文字で説明するのではなく、絵によって清見寺と朝鮮、琉球との関係を表しているのでしょう。
書院の建築にも、ぜひ注目してください。畳敷きの廊下は、大勢の人が集まる際にも使われました。屋根を支えているのは、八間、約15メートルにわたる一本の磨き檜です。軒下には「丸桁」と呼ばれる長い材がめぐらされ、屋根を支えています。これほど長く、真っすぐな木材を生かした造りは、現代の建築ではなかなか見ることができません。
書院から望む庭園も、清見寺の魅力です。刈り込まれたサツキが新芽を伸ばす季節には、鮮やかな緑が庭を包みます。雨上がりの風がない日には、心字池の水面が水鏡となり、庭の木々やサツキを映します。屋外から眺めるだけでなく、建物の窓を額縁に見立てて味わうのも、この庭園の楽しみ方の一つです。
本堂の回廊には、寺院としては珍しい古い武器も残されています。さすまた、突き棒、袖絡み、長巻です。
清見寺の起源は、古代の関所「清見ヶ関」にあります。展示されている武器は、関所で人を取り押さえたり、敵を退けたりするために使われた道具の名残と考えられています。血の跡が残る板を使った「血天井」とともに、清見寺が歩んできた歴史を強く印象づけるものです。
回廊には、かつて清見寺から望むことができた景色を写した古い写真もあります。およそ50年前までは、清見寺から三保の松原までを、遮るものなく見渡すことができました。
その景色を詠んだ句が残されています。
「秋晴れや 三保の松原 一文字に」
三保の松原が、左から右へ「一」の字を引いたように見える、雄大な景色を表した句です。
清見寺の眼下には、かつて「清見潟」と呼ばれた磯の海岸が広がり、その先に三保の松原が横たわっていました。海岸と松原が鮮やかな対比をつくり、この地ならではの景観を生み出していたのです。
現在は港の開発が進み、同じ景色を見ることはできません。それでも、残された写真や俳句、建物や文化財を通して、かつて清見寺から広がっていた風景と、ここで育まれた国際交流の歴史を感じることができます。
Welcome to Shimizu!
Seikenji Temple, located in Okitsu, has welcomed Korean diplomatic missions and envoys from the Ryukyu Kingdom throughout its long history. Its calligraphy, furnishings, artworks, and architecture preserve the story of Japan’s cultural exchange with its neighbors.
One of these treasures is an original work of calligraphy reading “Senryū-shitsu,” meaning “Chamber of the Hidden Dragon.” It is believed to have been written by a member of a Korean diplomatic mission around 400 years ago.
To preserve works such as this, thin Japanese paper was placed over the original calligraphy and the characters were carefully traced. The paper was then attached to a wooden board, and the outlines of the characters were carved with chisels. White pigment was applied to make the lettering stand out. These carved wooden panels are known as kakeban and can also be seen in the temple’s main hall. Through this process, the movement of the original brushwork could be transferred to wood and preserved for generations.
The shoin reception building also houses a sanshin presented by an envoy from the Ryukyu Kingdom. The instrument bears the three-comma crest of the Ryukyu royal family. By 2010, the 400th anniversary of the beginning of relations between Seikenji and the Ryukyu envoys, the sanshin had greatly deteriorated. It was restored by members of the Okinawan community. The instrument therefore represents not only a historic connection but also a relationship that has continued into the present day.
The shoin contains two rooms of especially high status.
One is the Gyokuza-no-ma, or Imperial Audience Room, which was used when welcoming shoguns and members of the Imperial family. The other is the formal reception room. It was used when senior Buddhist priests visited from Myōshinji Temple in Kyoto, the head temple of Seikenji’s Zen Buddhist school. Here, the head priest of Seikenji would formally receive and greet distinguished guests. An adjoining room served as an antechamber.
The ceilings help distinguish the status and purpose of the two rooms. The Imperial Audience Room has a raised, coffered ceiling formed by square panels. The formal reception room also has a raised ceiling, but it is finished with long, narrow wooden battens. Both designs convey the dignity expected of rooms used to welcome important guests.
Paintings applied directly to wooden panels decorate the cupboards in the formal reception room. The lower panels depict flowers and birds, including peonies, chrysanthemums, plum blossoms, and narcissi. The upper panels appear to show a Ryukyuan castle and a Korean temple. Without relying on written explanations, these images express Seikenji’s historic relationship with Korea and the Ryukyu Kingdom.
The architecture of the shoin is another feature worth noticing. Its tatami-covered corridors could accommodate large gatherings. The roof is supported by a single polished cypress beam spanning eight ken, or approximately fifteen meters. Long round eave beams extend around the building to support the roof. It is rare to see such long, straight timbers used in modern architecture.
The garden viewed from the shoin is also one of Seikenji’s attractions. After the azaleas have been pruned, fresh green shoots cover the garden. On a still day after the rain, the surface of the heart-shaped Shinji Pond becomes a natural mirror, reflecting the trees and azaleas. The garden can be enjoyed from outside, but the view framed by the windows of the historic building offers a different sense of elegance.
The corridor of the main hall displays several old weapons—an unusual sight in a Buddhist temple. They include a forked sasumata, a thrusting pole, a hooked sodegarami, and a long-bladed nagamaki.
Seikenji traces its origins to an ancient checkpoint known as Kiyomigaseki. These weapons are believed to be remnants of the equipment once used there to restrain people or repel attackers. Together with the temple’s “bloodstained ceiling,” made from boards bearing traces of blood, they leave a powerful impression of Seikenji’s long and sometimes turbulent history.
Old photographs preserved at the temple show a landscape that could once be seen from Seikenji. Until around fifty years ago, the view extended across the coast to the pine grove of Miho with almost nothing in the way.
A haiku was composed about this sweeping view:
“Under the clear autumn sky,
the pines of Miho
draw a single line.”
The poem describes the distant pine grove stretching from left to right like the single horizontal stroke of the Japanese character ichi, meaning “one.”
Below Seikenji once lay the rocky shore known as Kiyomigata. Beyond it, the pine-covered Miho Peninsula extended across the horizon. The contrast between the coast, the sea, and the long line of pine trees created a landscape unique to this place.
Port development has changed the view, and the same panorama can no longer be seen today. Through the surviving photographs, poetry, architecture, and cultural treasures, however, visitors can still imagine the scenery that once opened out below Seikenji and discover the long history of international exchange that flourished here.
【放送内容のテキスト文面】
今週も興津の清見寺をボランティアガイドの伏見さんと一緒にぶらっとしていきましょう。
先週は明治天皇もいらっしゃったという書院の中で隠された逆さ葵を見つけました。
今週はこの書院の中の作りをもう少し詳しくお話をしていただくところからスタートです。
玉座のあるお部屋の隣の部屋へ進むと、なんだか文字がたくさん書かれた紙が飾ってありますね。
こちらはどういったものでしょうか。
これ、右から左で潜龍室ってこう書いてありますけど、これが朝鮮通信使の墨書きの本物なんだ。
で、あそこにあった板に白字で書いてあったものの作り方はですね、この。墨書きのものに薄い和紙をあてがいましてね、濡れてない墨、コンテとかそういうもので綺麗に模写しますよね。
模写した紙を板に貼り付けて、彫刻刀で彫って、字体は、彫っただけではわからないですかね。
だからこっちは墨なんですけど、向こうは白色顔料というものを使いましてね、字体に沿った綺麗に形を整えたものが向こうのものです。で、模写したものを彫刻刀で彫ったりするから。
木刻とか木に写すというような表現を使っている掛け板っていうものなんですね。
おお! これは朝鮮通信使の方が書いたものの本物なんですね。
本堂にあった朝鮮通信使の掛け板というのは、この上から形をなぞって板に写していたんですか。
400年くらい前の本物がこんなにも近くで見られるなんて、とても貴重ですね。
汚したら怖いので、適度な距離で見ておきます。
さあ、さらにお部屋を進んでいきましょう。
あ、こちらのお部屋には楽器が飾ってありますね。これは何ですか。
このお寺はですね、朝鮮通信使と琉球使節、大変関係が深いお寺ですから、それぞれの施設からね、大変に寄進されたものとか、書だとか、そういったものはたくさん残っているお寺ですけど、、これはですね、琉球使節からいただいた三線、三味線ですね。これは琉球王朝からいただいたということで、琉球王朝の家紋、三つ巴ですけどね、これがちゃんと入っているもので、なんかこれ新品に見えると思うんですけど。
実は2010年というのが琉球使節から始まってちょうど400年だったんですね。
これで記念祭がありましてね、式典がありましてね。
これだいぶ劣化しちゃってたんですね。
琉球って沖縄県の県人会の方が修復してくれました。
これからまた200年、300年続くんだろうと思いますけどね。
これは琉球施設からいただいた三線。三味線でございます。
確かに新品のように綺麗だなぁと思いました。
こちらは当時の使節の方からいただいた本物ではないけれども、沖縄県の方から贈られた、沖縄と清見寺が今でもつながりがあるんだということを示す大切な三味線なんですね。
気がつけば書院の一番奥のお部屋までやってきました。こちらのお部屋は玉座のお部屋と同じような天井で、他のお部屋よりも少し豪華な気がします。ここはどんなお部屋なんでしょうか。
先ほどの玉座とこの書院にはいいお部屋が2部屋あるんです。向こうの玉座っていうのは、対外的にどうやら使うお部屋で、将軍様がおいでになった、天皇様がおいでになったっていう場合には、どうも向こうを使って。
このお部屋はですね、お寺さんの関係、例えばこのお寺さんが、本山は京都の妙心寺ですから、妙心寺から偉いお坊さんがおいでになったなんて場合は、どうやらこのお部屋を使うらしいんです。
住職さんがここに臨席しまして、ご挨拶する接見の間ってことに言われています。
こっちが控えの間、次の間ということになりますね。
こちらも大切なお客様をお迎えするお部屋なんですね。
他のお寺から位の高いお坊さんがいらっしゃった時には、ご挨拶をするのに今でもこの接見の間が使われているんですね。
で、天井の形はですね、玉座の方は折り上げ、格天井、折り上げと、頂上部が正方形の枠でしたけども、こちらは折り上げは共通ですけど、頂上部は竿状のものが渡ってますので、折り上げ竿縁天井(さおぶちてんじょう)というように呼ぶんだそうでございます。
いずれもですね、高級感にあふれたね、そのお部屋ということになります。正面にはですね、戸棚が2段あるわけですけど、絵を書いてありますね。この絵はですね、政目の板、建物用の板に直接絵を描いてありますので、板絵といっているんだそうです。
絵柄はね、下は花と鳥ですよく見るとね。ですから花鳥図。牡丹とか野菊とか梅とかとかありますね。水仙とかね。それから上はですね、このお寺にはですね、朝鮮と琉球の使節が寄っていただいてますので、その方々のふるさとの絵で、左側が琉球のお城、右側が朝鮮のお寺というようなほうに見て取れますのでね。文字は書いてないけど、絵柄で判断するというような形になっているかと思います。
言われてみれば、玉座のお部屋と似ていますが、少し天井のデザインが違いますね。玉座の間では、床の間の横の部分に立派な龍が書かれていましたが、このお部屋では、清見寺と、朝鮮や琉球といった国々との関係を絵で表しているんですね。文字で書くよりもさりげなく豪華にアピールできていていいですね。ではお部屋を一通り見てきましたので、一旦廊下へ出てみましょうか。
じゃあ今ですね、このまた玉座の前に戻ってきましたけど、ちょっと言い足りなかったんですけど、この、玉座のお部屋にはですね、書院には畳廊下なんていうのがあるんですね。人が大勢集まるところ、こういうところも使えます。それで一般に外縁というのがこうあって、ここへ出てきて天井を見上げますとね、なんかえらく長いものを使ってあります。この書院の屋根というのは丸太でもって支えられています。この丸太がですね、向こう側からここまでで八間一本っていう素晴らしいスタイルのいいね、磨きの檜を使っています。軒下とか丸桁(がんぎょう)と言ってますけども、これがつなぎつなぎで一周こう回ってきて屋根を支えています。なかなか現代ではこういうものを見ることができない。昔だから当然こういう形のものですけどね、ちょっと長くてちょっと珍しいかなっていう感じですね。
8間というとだいたい15m くらいですよね。そんな立派な木が、この建物の天井を支えているんですね。こんなまっすぐで立派な火の木を見つけるのも、なかなか大変なことだったのではないかと思いますが、今の建築物にはあまり見られない面白い作りで興味深いです。さあ、書院の中をぐるっと一周、解説していただきましたので、また本堂の方へと戻っていきましょうか。
はい、今戻りの途中でお庭をもう一度見ていますけども、今日はですね、大変に素晴らしい景色を見ていただくことができます。サツキがですね、来年の花付きを良くするために刈り込みをしたものがですね、新芽が吹いてきましたので、大変今、緑が綺麗です。雨上がりの新地池の水面が水鏡になってましてね、前面のサツキがですね、池の水面に映っていると、大変に綺麗な景色をですね、。
ご覧いただいております。風があるところでダメです。雨が降っていてもダメですけどね。今日は大変に恵まれた環境でですね、池を、前面のお庭の景色を見ていただいております。
風のない快晴なので、水面に木々が映って本当に綺麗ですね。外に出て眺めるのもいいですが、この建物の中から窓を通して見るのも、粋な感じで私は好きです。通路を進んできて、本堂へとやってまいりました。以前通った落書きなどがある回廊とは反対側へやってきましたが、こちらには、武器がたくさん飾ってありますね。サスマタなどがありますが、どうしてこんなところに武器が飾られているんでしょうか。
すごいこう、まあ、おっかない武器がこうね、壁に4本こう展示してありますけど、これがですね、まあお寺に殺生道具があるのはちょっと、なんていう方もいるんですけど、、もともとこのお寺はですね、関所からスタートしたお寺、清見ヶ関からスタートしたお寺ですので、こういったね、捕り物道具というんですかね、敵を撃退するための道具がですね、あったんだろうと思います。それの残りだろうと思います。清見ヶ関で使った古い武器、上から差し股、突き棒、袖絡み、長巻、こういったようなものが今残ってます。
このお寺には小学生がですね、課外授業ということで大勢来ますけどね、この古い武器、それから先ほどご覧いただいた地天井、この2つがですね、学校へ帰って、感想文を成賢寺に送ってくれますけど、この2つが一番人気が高いところでございます。
なかなか他のお寺ではこういった物々しい武器だったり、血の跡が残っている板が使われている天井なんて見られないので、、とても印象に残りますよね。もともとは関所だったところに建てられたという背景がある清見寺だからこそ見られる特徴的なものですね。さあ、回廊を進んだ先に写真も飾られているのが見えますね。ちょっと見に行ってみましょう。
地元の写真家さんがですね、このお寺に寄進していただいた写真ですけどね、これがこの地区のね、ちょっと古い時代をね、、写したものが残ってます。一番象徴的なものは、こちらが海の方向です。ここに三保の松原がこう見えているんですけど、今から50年ほど前までは、この三保の松原が何の遮るものもない状態で、こういうふうに見えていたんです。これが見える時代にこのお寺に来た人が読んだ名句「秋晴れや三保の松原一文字に」三保の松原がちょうど左から右へ、一って書いたように見えてるよ」
こういうような大変豪快な景色を表現しています。その海岸は清見潟という磯の海岸だったんです、ここは。それでその先に三保の松原がこう見えていたよということで、単なる砂利浜、砂浜に増したこのコントラストが強いアクセントになる景色を提示してましたんでね。景勝の地っていうことになろうかなって思います。
今見られる景色とはだいぶ違っていますね。奥の方まで遮るものがなく、美保半島まで映っています。歌の通り、三保を一望できる素晴らしい景色だったんでしょうね。今は港の開発が進み、三保までは見渡せなくなってしまったので、その広々とした景色も見てみたかったです。はい、ありがとうございました。




