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魅力ある清水を創る会
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ぶらっと清水【第30回】フェルケール博物館の冒険(1) 展示室3から冒険再開 8艘の弁財船 江戸時代、外国の船と日本の船の造りの違い / Adventures at the Verkehr Museum (1)

2 時間前
読了時間: 25分





<今日のお散歩まとめ>


  • 今回の「ぶらっと清水」は、波音ちゃんと椿原さんがフェルケール博物館の第3展示室を紹介します。

  • 展示されているのは、駿河湾を航海していた和船の約10分の1スケールの模型8艘です。焼津にあった近藤和船研究所で、本物の和船と同じ素材や造船技術を使って製作されました。

  • 江戸時代後半の貨物船である弁才船や、千石船という呼び名について解説します。一石は約180リットルの容積で、米なら約150キログラム。千石船は、もともと約150トンの米を積める船を意味します。

  • 1メートル×1メートル×1メートルの立方体に入る水の重さは約1トンです。千石の米は、この水の立方体150個分と同じくらいの重さになります。

  • 江戸時代末期の清水では、最大800石積みの船が巴川を遡り、当時の清水港に入ることができたと文献に記されています。

  • 菱垣廻船は、船内への浸水を防ぐ掻立という部分の菱形模様が名前の由来です。日用品をはじめ、さまざまな荷物を運んでいました。

  • 樽廻船は、主に液体を入れた樽を運ぶ船として紹介されます。形や大きさを揃えた樽を積む工夫には、現代のコンテナ輸送にも通じる考え方がありますが、直接発展してコンテナになったわけではありません。

  • 弁才船は、人が乗る部分の木や舟板を取り外せる構造でした。模型だけでなく実際の船にも採用され、荷物を多く積み、素早く積み下ろしするための工夫でした。

  • 放送では、甲板を固定して頑丈に作る外洋航海の船と、沿岸を航海し、荒天時には港へ避難する日本の和船を比較します。鎖国という時代背景と、積載量や荷役の効率を重視した船の構造との関係を解説します。

  • 模型の形や仕組みだけでなく、運んでいた荷物や当時の社会背景を知ることで、清水の海運と造船技術への理解が深まる内容です。



  • In this episode of Buratto Shimizu, Namine-chan and Tsubakihara introduce Gallery 3 of the Verkehr Museum.

  • The gallery displays eight models of traditional Japanese wooden vessels that sailed Suruga Bay, built at approximately one-tenth scale. They were made at the former Kondo Japanese Wooden Boat Research Institute in Yaizu using the materials and shipbuilding techniques employed in the actual vessels.

  • The programme explains bezaisen, cargo vessels used during the later Edo period, and the name sengokubune, or “thousand-koku ship.” One koku is approximately 180 litres, equivalent to about 150 kilograms of rice. The name originally referred to a ship capable of carrying approximately 150 metric tonnes of rice.

  • A cube measuring one metre long, one metre wide, and one metre high holds water weighing approximately one metric tonne. A thousand koku of rice weighs roughly as much as the water in 150 of these cubes.

  • Historical records describe vessels with capacities of up to 800 koku travelling up the Tomoe River to reach the port of Shimizu toward the end of the Edo period.

  • Higaki kaisen were named after the diamond-shaped lattice pattern on their kakitate, a structure that helped keep water out of the ship. They transported a wide variety of goods, including everyday necessities.

  • Taru kaisen are introduced as vessels carrying barrels, mainly containing liquids. Using barrels of similar shapes and sizes made stacking more efficient—an idea comparable to modern container shipping, although shipping containers did not develop directly from these vessels.

  • Bezaisen had removable wooden sections and deck boards where people stood. This feature existed on the actual ships, not just the models, allowing more cargo to be carried and making loading and unloading quicker.

  • The programme compares ocean-going ships with firmly secured decks against Japanese coastal vessels that sought shelter in ports during bad weather. It explains the relationship between Japan’s period of seclusion and ship designs that emphasised cargo capacity and efficient handling.

  • By considering the cargo and historical circumstances alongside the models’ shapes and construction, listeners gain a deeper understanding of Shimizu’s maritime trade and shipbuilding skills.


【提供】



【ぶらっと清水 第30回】


波音ちゃん:

さあ、今週からはまた港の方へ戻って、フェルケール博物館の中をぶらっとしていこうと思います。


解説してくださるのは、もはや「ぶらっと清水」ではお馴染みになっている椿原さんです。以前、フェルケール博物館を探検した時は、展示室1から2までと、缶詰記念館の中を見てきました。


今回は展示室3からスタートしていきましょう。椿原さん、またよろしくお願いします。


椿原さん:

はい、お願いします。こちらは第3展示室です。


ぱっと見て驚かれる方が多いんですけども、およそ10分の1スケールの和船の模型が並んでいますね。これはみんな、駿河湾で航海をしていた船なんです。


焼津に、かつて近藤和船研究所というものがありまして、そこで製作された模型になります。


波音ちゃん:

入った瞬間に、ずらっと並んだ船の模型が目に飛び込んできますね。1、2、3、4、5、6、7、全部で8艘あります。


当時使われていた本物の船は、この10倍の大きさだったんですね。立派な帆もついていて、遠くまで行けそうですね。


椿原さん:

ここにある模型は、大きさが10分の1になっているんですけども、木の種類や工法、技術ですよね。それには、本物の和船を作っていた素材や技術がそのまま使われております。


ですので、大きさだけ10分の1に小さくなったというものですよね。これだけ大きな模型が並んでいるというのは、ちょっと珍しい博物館だと思いますね。


波音ちゃん:

展示のために見た目だけ似せて作るのではなく、ちゃんと当時の造船技術を使って、大きさだけ変えた船が展示されているんですか。そのこだわりはすごいですね。


かなり近くで見られるので、当時はどうやって船が作られていたのか、この模型を見て学ぶことができる素晴らしい展示です。


椿原さん:

ちょっと内容を見ていきましょうね。模型から先に行きたいと思います。


入って一番最初に2つ並んでおりますのが、江戸時代の後半に使われていた貨物船です。弁才船(べざいせん)であったり、千石船(せんごくぶね)というふうに言われていたものですね。


通常、よく千石船というふうに言うんですけども、この「石(こく)」というのは、重さではなく、容積の単位なんです。一石がどれくらいかというと、約180リットルで、お米なら重さは約150キログラムになります。ですので、千石のお米は約150トンです。千石船というのは、もともと、それだけのお米を積める船ということなんです。


1トンってちょっと難しいかと思うんですけども、水で考えてみますと、1メートル×1メートル×1メートルの立方体の容器に入る水の重さがおよそ1トンだと考えてもらえればいいですよね。


そうすると、その1トンの水が150個分、それと同じくらいの重さのお米を積める船が、千石船というふうに考えてもらえばいいと思いますね。


波音ちゃん:

木造の船で約150トンも荷物を乗せて運んでいたんですか。


技術が発達した今では、150トンの貨物を運ぶのは簡単なことかもしれませんが、200年も前にそういった船がもう普通に使われていたというところに驚きです。


椿原さん:

清水の港だと、江戸時代の終わりくらいには、一番大きいもので800石積みの船が巴川を遡って、当時の清水港に着くことができたと文献に書かれていますね。


今ここに、千石船といいますか、弁才船が2つ並んでいます。手前の左側のものが菱垣廻船(ひがきかいせん)、それからちょっと右に離れたところにあるのが樽廻船(たるかいせん)と呼ばれているものです。


ぱっと見では、あまり変わりはないですよね。


波音ちゃん:

そうですね。一見すると同じ船のように見えますが、菱垣廻船と樽廻船、別の種類の弁才船なんですね。


どこが違うのか、なんだか間違い探しみたいですね。


椿原さん:

ほとんど変わりはないんですけども、菱垣廻船と呼んでいるものは、ここ、わかります?


船の横の部分に、掻立(かきたて)という、中に水が入るのを防ぐようなものを作ってあるんです。そこに菱形の模様がついているものですから、「菱垣廻船」というふうに呼んでいますね。


この船自体は貨物船なんですけども、当時の文献を読んでいくと、この菱垣廻船というのは、日常品のあらゆるもの、なんでもかんでも、とにかく積んで航海をしていたという船ですね。


波音ちゃん:

確かによく見ると、こちらの船には菱形のような模様があります。船の模様から「菱垣廻船」なんですね。


菱垣廻船はどんなものでも積んで運んでいたということですが、逆に樽廻船の方は、運ぶものが決まっていたということですか?


椿原さん:

樽廻船というくらいですから、樽ですよね。


皆さん、樽を思い浮かべると思うんですけども、その前に桶を考えてもらいたいところですね。桶というと風呂桶とか、いろんな桶がありますけども、蓋のないものが桶ですよね。


その桶に入れるものというと、やっぱり水物ですよね。お醤油であったり、お酒であったり、お酢であったり。そういうものを運ぶために桶に入れたんですけども、こぼれちゃいますよね。


ですから蓋をする。そうすると樽になるんですけども、同じような大きさの樽を作っておいて、それを一つの船の中に積み上げる。


同じ形のものをたくさん作っておいて、その中にものを入れて積み上げやすくする。今のコンテナの考え方の一番元になったのが、この樽廻船になります。


波音ちゃん:

おお! 主に液体が入った樽を運んでいた船だから、樽廻船なんですね。


大きさの揃っている荷物を隙間なく詰めて乗せるというのは、確かにコンテナみたいです。


椿原さん:

日本で、江戸時代の中くらいに樽廻船という考え方ができて、それがずっとつながって今のコンテナになったというわけではないんですけども。コンテナはアメリカで考えられていますからね。


ですけども、やっぱり積むための方法として、一番最初に考えられたのは、この樽廻船じゃないかなというふうに思いますね。


波音ちゃん:

大きさがバラバラな荷物をテトリスみたいに組み合わせて、隙間を作らないように考えるより、形と大きさが決まっている樽を使った方が効率がいいのは間違いないです。


椿原さん:

もう一つ、細かく見ていってもらいたいんですけども、博物館のここのコーナーでよくよく見ると、人が乗るところに小さな木を組み合わせて、平らな面を作ってあるんです。


実は、この木の部分と木の板の部分は、全部外せるように作ってあるんですね。なぜかというと、これを全部外して、荷物を積み上げることができるように作ってあるんですよね。


日本のこの弁才船は、舟板を外すことによって荷物をたくさん積める。それからもっと重要なのは、荷物をより迅速に積んだり、積み下ろしたりできるように作ってあることです。


波音ちゃん:

この板の部分って、展示だから外せるというわけではなく、本物の船もそういった作りになっていたんですか。


確かにこの板が外れれば、荷物を乗せたり降ろしたりする際に邪魔にならないですね。木造なのにそこまで考えて設計されていたとは、当時の日本の造船技術の高さに驚きですね。


椿原さん:

当時の外国の船だと、甲板というふうに言われるものなんですけども、外国の船の甲板は必ず接着といいますか、釘で打ってあって、取れないように作ってありますよね。


なぜかというと、これ、横から断面を見ると、丸に近い形に作ってあるんですね。甲板もちゃんと取り外しできないようにして、頑丈に作ってありますよね。


それは、太平洋とか大西洋を航海する時に、台風であったり、ハリケーンであったり、そういうものが来ると、船は壊れやすいからですよね。


それがないようにということで、甲板も全部くっつける。固着させておいて、ちゃんと頑丈な船を作っているんです。


波音ちゃん:

そうですよね。嵐とか天候が悪い時には、波や風で船はかなり揺れますよね。


そんな時に固定されていない舟板があると、飛んでいってしまったり、危険な気がするんですけど、大丈夫だったんですか?


椿原さん:

日本の場合は、そういった大海原、太平洋とか大西洋を航海することは、実はあまりなかったんです。


というのは、船が太平洋や大西洋を航海するような大航海時代にあたる時期、日本は鎖国に向かっていったんですよね。


ですので、日本の船が海外へ航海していくことはなくて、もし船が台風などに遭う時には、日本の近海ですので、すぐに安全な港に避難をしてしまう。


そういうことで、船の頑丈さは、海外に比べると低くても良かったということになりますよね。


波音ちゃん:

そっか、その時代は確かに鎖国をしていた時期ですね。


海外との取引を断っていた時代だから、日本から遠い海を渡って荷物を運べる頑丈な船を作る必要はなかった。それで、このような機能をつけられたということなんですね。


椿原さん:

ええ。それよりも、どうやって荷物をたくさん積むか、それから迅速に荷物の積み下ろしができるかということを考えて、このような弁才船の形が考えられたと思います。


ですので、そういうことを考えながら展示を見ていただければなと思います。


波音ちゃん:

なるほど。ただ珍しい機能がついているなぁと感心するだけで終わらず、そういった時代背景も踏まえて考えると、より深く理解できて面白いですね。


はい、ありがとうございました。


あっという間にお時間が来ましたので、楽しいお話もここまで! 来週もまたお楽しみにです!





【観光案内ガイド風】

ようこそ!清水へ!


清水の港を行き交っていた船には、どんな荷物が積まれ、どんな工夫が施されていたのでしょうか。フェルケール博物館の第3展示室では、和船の模型を通して、駿河湾の海運と、それを支えた造船の技術に触れることができます。


展示されているのは、かつて駿河湾を航海していた和船の模型8艘です。焼津にあった近藤和船研究所で製作されたもので、大きさは本物のおよそ10分の1。当時の船は、この模型の約10倍の大きさだったんですね。


この模型は、見た目を似せただけではありません。木の種類や船を組み立てる工法にも、本物の和船づくりの素材や技術が使われています。大きさを小さくしながら、当時の船がどのように作られていたのかを伝えているんです。


展示の中には、江戸時代の後半に荷物を運んでいた弁才船(べざいせん)があります。千石船(せんごくぶね)という呼び名なら、耳にしたことがあるかもしれませんね。


では、この「千石」とは、どれくらいの量なのでしょうか。


「石」は「こく」と読み、重さではなく、ものの容積を表す昔の単位です。一石は約180リットル。お米なら、重さにすると約150キログラムになります。その千倍ですから、米千石は約150トンです。千石船という呼び名は、もともと、それだけのお米を積める船を意味していました。


ただ、150トンと聞いても、なかなか想像しにくいですよね。そこで、水で考えてみましょう。


縦1メートル、横1メートル、高さ1メートルの立方体の容器を思い浮かべてください。その中を水でいっぱいにすると、水の量は1,000リットル、重さはおよそ1トンになります。


その水の立方体が150個分。それと同じくらいの重さのお米を積めるのが、千石積みの船というわけです。これは重さを比べたもので、お米と水では同じ重さでも占める容積は違います。


今からおよそ200年前に、木造の船がこれほどの荷物を運んでいた。そう考えると、当時の船の大きさや、造船技術の高さが少し身近に感じられませんか。


江戸時代の終わりごろ、清水では、大きいもので800石積みの船が巴川を遡り、当時の清水港に入ることができたと文献に記されています。たくさんの荷物を積んだ木造の船が川を遡る。そんな港の風景を思い浮かべると、今とは違う清水の姿が見えてきそうです。


弁才船の模型には、菱垣廻船(ひがきかいせん)と樽廻船(たるかいせん)があります。一見するとよく似ていますが、名前や運んでいた荷物には違いがあるんです。


菱垣廻船の特徴は、船の側面にある菱形の模様です。船内に水が入るのを防ぐための掻立(かきたて)という部分に、この模様がついています。菱垣廻船という名前も、そこから来ているんですね。この船は、日々の暮らしに使うさまざまな品物を積んで航海していました。


一方、樽廻船は、その名のとおり樽を運んでいた船です。


樽を思い浮かべる前に、蓋のない桶を想像してみてください。お酒や醤油、酢のような液体を入れて運ぶには、こぼれないように蓋が必要ですよね。蓋をした樽は、そうしたものを運ぶための容器でした。


同じような形と大きさの樽を揃えれば、船の中に積み上げやすくなります。大きさがバラバラな荷物を組み合わせるより、場所を効率よく使えるわけです。


この工夫は、今の港で使われているコンテナにも通じるものがあります。樽廻船がそのまま現代のコンテナへと発展したわけではありませんが、容器の形や大きさを揃えて運びやすくするという考え方には、共通するところがありますね。


弁才船には、荷物を積み下ろしするための工夫もありました。人が乗る平らな部分には木や板が組み合わされていますが、これらは取り外せるようになっているんです。


模型だから外せるのではなく、本物の船もそうした作りでした。板を外せば、荷物を出し入れする時に邪魔になりません。たくさん積むことに加えて、素早く積み下ろしすることも考えられていたんですね。


ただ、板が固定されていないと聞くと、嵐の時には大丈夫だったのだろうか、と気になりませんか。


太平洋や大西洋を渡る外国の船では、甲板を固定し、船を頑丈に作ることが大切でした。長い航海の途中で、激しい風や波に耐えなければならなかったからです。


一方、ここで紹介している江戸時代の和船は、主に日本の沿岸で荷物を運んでいました。その背景には、日本の海外への航海が制限されていた鎖国期の事情もあります。荒天の際には近くの安全な港へ避難することを前提に、荷物を多く積み、効率よく積み下ろしするための工夫が重ねられていたのです。


同じように見える船にも、運ぶ荷物や航海する海に合わせた違いがあります。船の形や構造を知ると、当時の暮らしや商い、時代の背景までつながって見えてきますね。


フェルケール博物館の和船の模型には、清水の港を支えてきた技術と工夫が詰まっています。その一つひとつから、かつてこの港を行き交った船と、人々の暮らしを想像してみてください。



Welcome to Shimizu!

What kinds of cargo did the ships visiting Shimizu carry, and how were they designed to do their work? In Gallery 3 of the Verkehr Museum, models of traditional Japanese wooden vessels introduce the maritime trade of Suruga Bay and the shipbuilding skills that supported it.


The gallery displays eight models of vessels that once sailed these waters. They were made at the former Kondo Japanese Wooden Boat Research Institute in Yaizu, at approximately one-tenth of their original size. The actual ships were about ten times as large as the models.


These models do more than reproduce the appearance of the ships. They also use the types of wood and construction techniques employed in building the actual vessels. On a smaller scale, they show us how traditional Japanese ships were put together.


Among the models are cargo vessels known as bezaisen, which carried goods during the later Edo period. You may also encounter the name sengokubune, meaning “a thousand-koku ship.”


But how much is a thousand koku?


A koku is a traditional Japanese unit of volume, rather than weight. One koku is approximately 180 litres. When filled with rice, that volume weighs about 150 kilograms. A thousand koku of rice therefore weighs approximately 150 metric tonnes. The name sengokubune originally meant a ship capable of carrying that much rice.


Still, 150 tonnes can be difficult to picture. So let’s think about water.


Imagine a cube-shaped container measuring one metre long, one metre wide, and one metre high. Filled with water, it holds 1,000 litres. That water weighs approximately one metric tonne, or 1,000 kilograms.


Now imagine 150 of those water-filled cubes. The water would weigh about as much as the rice carried by a thousand-koku ship. This is a comparison of weight: rice and water take up different amounts of space even when they weigh the same.


Around two hundred years ago, wooden ships were already transporting loads on this scale. That gives us a more concrete sense of their size—and of the shipbuilding skills that made them possible.


Historical records tell us that, toward the end of the Edo period, vessels carrying as much as 800 koku could travel up the Tomoe River to reach the port of Shimizu as it existed then. Imagine a large wooden ship making its way upriver, loaded with goods. It brings to mind a very different scene from the port we know today.


The bezaisen models include two kinds of cargo carrier: higaki kaisen and taru kaisen. At first glance, they look much alike, but their names and the goods they carried reveal some interesting differences.


Higaki kaisen take their name from the diamond-shaped lattice pattern along their sides. This pattern appears on a structure called the kakitate, which helped keep water out of the vessel. These ships carried a wide variety of everyday goods.


Taru kaisen, meanwhile, were named for the barrels they transported. Taru is the Japanese word for a barrel.


To picture the role of these barrels, think of an open wooden tub. If you wanted to transport a liquid such as sake, soy sauce, or vinegar, you would need a lid to stop it spilling. A sealed wooden barrel provided a practical container for the journey.


Making barrels in similar shapes and sizes also made them easier to stack inside a ship. Instead of fitting together a collection of differently sized packages, the crew could use the available space more efficiently.


It is an idea that may remind you of the shipping containers used in ports today. Modern containers did not develop directly from these barrel ships, but both share the practical idea of using containers of a consistent shape and size to make goods easier to handle and transport.


Bezaisen had another useful feature for handling cargo. The flat surfaces where people stood were made from wooden pieces and boards that could be removed.


This was not simply a feature of the models. The actual ships were built this way too. Removing the boards opened up access to the cargo space, making it easier to load and unload goods. The design helped the ships carry plenty of cargo and made handling it quicker.


But removable boards raise an obvious question: what happened in a storm?


On foreign ships crossing the Pacific or Atlantic, decks were firmly secured to help create a strong hull. These vessels had to withstand powerful winds and waves during long ocean voyages.


The Edo-period Japanese vessels introduced here mainly carried goods along Japan’s coasts. This reflected the restrictions on overseas voyages during the country’s period of seclusion. With the expectation that ships would seek shelter in a nearby safe port during bad weather, their designs placed considerable emphasis on cargo capacity and efficient loading and unloading.


Ships that look similar can reveal different solutions to the demands of their cargo and the waters they sailed. Understanding their shapes and construction also opens a window onto everyday life, trade, and the circumstances of their time.


The wooden ship models at the Verkehr Museum preserve the skills and practical ingenuity that supported Shimizu’s port. Through their details, you can imagine the vessels that once came and went here—and the lives connected by the goods they carried.



【放送内容のテキスト文面】


波音ちゃん:

さあ、今週からはまた港の方へ戻って、フェルケール博物館の中をぶらっとしていこうと思います。

解説してくださるのは、もはや「ぶらっと清水」ではお馴染みになっている椿原さんです。以前、フェルケール博物館を探検した時は、展示室1から2までと、缶詰記念館の中を見てきました。

今回は展示室3からスタートしていきましょう。椿原さん、またよろしくお願いします。


椿原さん:

はい、お願いします。こちらは第3展示室です。

ぱっと見て驚かれる方が多いんですけども、およそ10分の1スケールの和船の模型が並んでいますね。これはみんな、駿河湾で航海をしていた船なんです。

焼津に、かつて近藤和船研究所というものがありまして、そこで製作された模型になります。


波音ちゃん:

入った瞬間に、ずらっと並んだ船の模型が目に飛び込んできますね。1、2、3、4、5、6、7、全部で8艘あります。

当時使われていた本物の船は、この10倍の大きさだったんですね。立派な帆もついていて、遠くまで行けそうですね。


椿原さん:

ここにある模型は、大きさは10分の1になっているんですけども、木の種類や工法、技術ですよね。それは、本物の和船を作っていた素材や技術がそのまま使われております。

ですので、大きさだけ10分の1に小さくなったというものですよね。これだけ大きな模型が並んでいるというのは、ちょっと珍しい博物館だと思いますね。


波音ちゃん:

展示のために見た目だけ似せて作るのではなく、ちゃんと当時の造船技術を使って、大きさだけ変えた船が展示されているんですか。そのこだわりはすごいですね。

かなり近くで見られるので、当時はどうやって船が作られていたのか、この模型を見て学ぶことができる素晴らしい展示です。


椿原さん:

ちょっと内容を見ていきましょうね。模型から先に行きたいと思います。

入って一番最初に2つ並んでおりますのが、江戸時代の後半に使われていた貨物船です。弁才船(べざいせん)であったり、千石船(せんごくぶね)というふうに言われていたものですね。

通常、よく千石船というふうに言うんですけども、千石というと、重さといいますか、量の単位なんです。一石がいくつかというのは難しいんですけども、だいたい千石といって、今の船の大きさだと100トン積みの船ということになるんです。

1トンってちょっと難しいかと思うんですけども、水で考えてみますと、1メートル×1メートル×1メートルの立方体。その水の量がおよそ1トンだと考えてもらえればいいですよね。

そうすると、その1トンの水が100個積めるような船が、千石船というふうに考えてもらえばいいと思いますね。


波音ちゃん:

木造の船で100トンも荷物を乗せて運んでいたんですか。

技術が発達した今では、100トンの貨物を運ぶのは簡単なことかもしれませんが、200年も前にそういった船がもう普通に使われていたというところに驚きです。


椿原さん:

清水の港だと、江戸時代の終わりくらいには、一番大きいもので800石積みの船が巴川を遡って、当時の清水港に着くことができたと文献に書かれていますね。

今ここに、千石船といいますか、弁才船が2つ並んでいます。手前の左側のものが菱垣廻船(ひがきかいせん)、それからちょっと右に離れてあるのが樽廻船(たるかいせん)と呼ばれているものです。

ぱっと見では、あまり変わりはないですよね。


波音ちゃん:

そうですね。一見すると同じ船のように見えますが、菱垣廻船と樽廻船、別の種類の弁才船なんですね。

どこが違うのか、なんだか間違い探しみたいですね。


椿原さん:

ほとんど変わりはないんですけども、菱垣廻船と呼んでいるものは、ここ、わかります?

船の横の部分に、掻立(かきたて)という、中に水が入るのを防ぐようなものを作ってあるんです。そこに菱形の模様がついているものですから、「菱垣廻船」というふうに呼んでいますね。

この船自体は貨物船なんですけども、当時の文献を読んでいくと、この菱垣廻船というのは、日常品のあらゆるもの、なんでもかんでも、とにかく積んで航海をしていたという船ですね。


波音ちゃん:

確かによく見ると、こちらの船には菱形のような模様があります。船の模様から「菱垣廻船」なんですね。

菱垣廻船はどんなものでも積んで運んでいたということですが、逆に樽廻船の方は、運ぶものが決まっていたということですか?


椿原さん:

樽廻船というくらいですから、樽ですよね。

皆さん、樽を思い浮かべると思うんですけども、その前に桶を考えてもらいたいところですね。桶というと風呂桶とか、いろんな桶がありますけども、蓋のないものが桶ですよね。

その桶に入れるものというと、やっぱり水物ですよね。お醤油であったり、お酒であったり、お酢であったり。そういうものを運ぶために桶に入れたんですけども、こぼれちゃいますよね。

ですから蓋をする。そうすると樽になるんですけども、同じような大きさの樽を作っておいて、それを一つの船の中に積み上げる。

同じ形のものをたくさん作っておいて、その中にものを入れて積み上げやすくする。今のコンテナの考え方の一番元になったのが、この樽廻船になります。


波音ちゃん:

おお! 主に液体が入った樽を運んでいた船だから、樽廻船なんですね。

大きさの揃っている荷物を隙間なく詰めて乗せるというのは、確かにコンテナみたいです。


椿原さん:

日本で、江戸時代の中くらいに樽廻船という考え方ができて、それがずっとつながって今のコンテナになったというわけではないんですけども。コンテナはアメリカで考えられていますからね。

ですけども、やっぱり積むための方法として、一番最初に考えられたのは、この樽廻船じゃないかなというふうに思いますね。


波音ちゃん:

大きさがバラバラな荷物をテトリスみたいに組み合わせて、隙間を作らないように考えるより、形と大きさが決まっている樽を使った方が効率がいいのは間違いないです。


椿原さん:

もう一つ、細かく見ていってもらいたいんですけども、博物館のここのコーナーでよくよく見ると、人が乗るところに小さな木を組み合わせて、平らな面を作ってあるんです。

実は、この木の部分と木の板の部分は、全部外せるように作ってあるんですね。なぜかというと、これを全部外して、荷物を積み上げることができるように作ってあるんですよね。

日本のこの弁才船は、舟板を外すことによって荷物をたくさん積める。それからもっと重要なのは、荷物をより迅速に積んだり、積み下ろしたりできるように作ってあることです。


波音ちゃん:

この板の部分って、展示だから外せるというわけではなく、本物の船もそういった作りになっていたんですか。

確かにこの板が外れれば、荷物を乗せたり降ろしたりする際に邪魔にならないですね。木造なのにそこまで考えて設計されていたとは、当時の日本の造船技術の高さに驚きですね。


椿原さん:

当時の外国の船だと、甲板というふうに言われるものなんですけども、外国の船の甲板は必ず接着といいますか、釘で打ってあって、取れないように作ってありますよね。

なぜかというと、これ、横から断面を見ると、丸に近い形に作ってあるんですね。甲板もちゃんと取り外しできないようにして、頑丈に作ってありますよね。

それは、太平洋とか大西洋を航海する時に、台風であったり、ハリケーンですよね。そういうものが来ると、船は壊れやすいですよね。

それがないようにということで、甲板も全部くっつける。固着させておいて、ちゃんと頑丈な船を作っているんです。


波音ちゃん:

そうですよね。嵐とか天候が悪い時には、波や風で船はかなり揺れますよね。

そんな時に固定されていない舟板があると、飛んでいってしまったり、危険な気がするんですけど、大丈夫だったんですか?


椿原さん:

日本の場合は、そういった大海原、太平洋とか大西洋を航海することは、実はあまりなかったんです。

というのは、船が太平洋や大西洋を航海するような大航海時代にあたる時期、日本は鎖国に向かっていったんですよね。

ですので、日本の船が海外へ航海していくことはなくて。もし船が台風などに遭う時には、日本の近海ですので、すぐに安全な港に避難をしてしまう。

そういうことで、船の頑丈さは、海外に比べると低くても良かったということになりますよね。


波音ちゃん:

そっか、その時代は確かに鎖国をしていた時期ですね。

海外との取引を断っていた時代だから、日本から遠い海を渡って荷物を運べる頑丈な船を作る必要はなかった。それで、このような機能をつけられたということなんですね。


椿原さん:

ええ。それよりも、どうやって荷物をたくさん積むか、それから迅速に荷物の積み下ろしができるかということを考えて、このような弁才船の形が考えられたと思います。

ですので、そういうことを考えながら展示を見ていただければなと思います。


波音ちゃん:

なるほど。ただ珍しい機能がついているなぁと感心するだけで終わらず、そういった時代背景も踏まえて考えると、より深く理解できて面白いですね。

はい、ありがとうございました。

あっという間にお時間が来ましたので、楽しいお話もここまで! 来週もまたお楽しみにです!

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