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ぶらっと清水【第29回】伏見さんと清見寺(6:最終回) / 日本平から駿河湾を一望できる素晴らしい景色を見ながら興津の歴史を聞く/Exploring Seikenji with Mr. Fushimi, Part 6: Stories of Okitsu from the Main Hall , A Panoramic View from Nihondaira to Suruga

1 日前
読了時間: 24分




<今日のお散歩まとめ>


  • 清見寺は東海道の要所に建つ格式ある寺院で、建築や文化財から興津の歴史を知ることができます。

  • 本堂入口の通路には、江戸時代に使われた大きなお駕籠の竿が残されています。

  • お駕籠は前後4人ずつ、合計8人で担ぐ大きさで、清見寺の高い格式を示しています。

  • 江戸時代の清見寺は200石余りの朱印地を持ち、住職は将軍の代替わりに伴う更新手続きのため、江戸城へ向かったと考えられています。

  • 本堂2階の「潮音閣」からは、日本平、三保の松原、駿河湾、伊豆半島まで、約180度の景色を見渡せます。

  • 清見寺から富士山は見えませんが、少し海上へ出ると、駿河湾越しの富士山を望むことができます。

  • 清見寺の眼下を通る東海道は、参勤交代の大名、朝鮮通信使、琉球使節などが往来した、日本の東西を結ぶ重要な道でした。

  • 明治22年に東海道本線が境内の一部を通って開通し、電化されるまでは蒸気機関車が走っていました。

  • 現在も周辺には東海道本線、国道1号、東海道新幹線、東名高速道路が集まり、交通の要所であり続けています。

  • 約50年前までは清見寺のすぐ近くまで海がありましたが、港の拡張や道路整備により、現在の港湾施設や物流拠点へ変化しました。

  • 港の開発以前の興津は、海を間近に望む景勝地であり、別荘地としても親しまれていました。

  • 清見寺は天変地異や戦火による被害を受けながらも、徳川家の保護などによって再建され、現在まで歴史をつないできました。

  • 潮音閣の広間は、以前は葬儀や法事後の会食に使われ、現在は講座や催しにも適した空間となっています。

  • 鐘楼の2階には、鎌倉時代末期に鋳造されたと伝わる、静岡県指定文化財の梵鐘が吊られています。

  • 梵鐘は1590年、豊臣秀吉による韮山城総攻撃の合図に使うため、現地へ運ばれたと伝えられています。

  • 現在の鐘楼は文久3年に建て替えられ、腰の高さで鐘を突く珍しい構造になっています。

  • 毎年12月31日には除夜の鐘が行われ、本堂の拝観時に寺の方が見当たらない場合は、入口の呼び出し用の鐘を鳴らします。

  • 潮音閣からの景色には、海辺の景勝地だった興津と、港湾・交通の拠点となった現在の姿が重なっています。



  • Seikenji is a prestigious temple located at a historic crossroads of the Tōkaidō, and its architecture and cultural treasures reveal the history of Okitsu.

  • A carrying pole from a large Edo-period palanquin is preserved above the passage leading into the main hall.

  • The palanquin was large enough to require eight carriers—four at the front and four at the rear—reflecting Seikenji’s high status.

  • During the Edo period, Seikenji held more than 200 koku of shogunate-authorized land, and its head priest is believed to have traveled to Edo Castle when the grant required renewal.

  • Chōonkaku, on the upper floor of the main hall, offers a panoramic view of Nihondaira, the Miho pine grove, Suruga Bay, and the Izu Peninsula.

  • Mount Fuji is hidden from the temple by the surrounding hills, but it can be seen across Suruga Bay from farther out on the water.

  • The Tōkaidō road below Seikenji was traveled by daimyō processions, Korean diplomatic missions, and envoys from the Ryukyu Kingdom.

  • The Tōkaidō Main Line opened through part of the temple grounds in 1889, and steam locomotives ran here before the railway was electrified.

  • The Tōkaidō Main Line, National Route 1, the Tōkaidō Shinkansen, and the Tōmei Expressway still converge around Seikenji, maintaining the area’s importance as a transportation corridor.

  • Until around fifty years ago, the sea extended close to the temple, but harbor expansion and road construction transformed the shoreline into today’s port and logistics facilities.

  • Before the port was developed, Okitsu was known for its seaside scenery and was popular as an area for holiday villas.

  • Seikenji survived natural disasters and warfare through repeated reconstruction, supported in part by the Tokugawa family.

  • The hall in Chōonkaku was formerly used for meals after funerals and memorial services and is now also suitable for lectures and other events.

  • The upper floor of the bell tower houses a bronze bell believed to have been cast near the end of the Kamakura period and designated as a cultural property of Shizuoka Prefecture.

  • The bell is said to have been transported to Nirayama in 1590 to signal an attack during Toyotomi Hideyoshi’s campaign against Odawara Castle.

  • The present bell tower was rebuilt in 1863 and has an unusual design in which the bell is struck at approximately waist height.

  • The temple holds its traditional New Year’s Eve bell-ringing ceremony every December 31, and visitors may use the calling bell at the entrance when temple staff are not visible.

  • The view from Chōonkaku brings together two images of Okitsu: its former seaside landscape and its present role as a port and transportation hub.


【提供】



【ぶらっと清水 第28回】


波音ちゃん:

さあ、今週も興津の清見寺をぶらっとしていきますよ。

ボランティアガイドの伏見さん、本日もよろしくお願いします。

先週の放送では、立派な書院を見学し、回廊を通って本堂へ戻ってきました。今回は、本堂の2階へ進んでいきましょう。

その前に、少し気になるものがあります。本堂の入口から続く通路の上に、大きな黒い棒のようなものが飾られています。これは、どのように使われていたものなのでしょうか。


伏見さん:

これは、江戸時代に清見寺で使われていた、お駕籠の残骸です。

お駕籠というのは、人が肩に担いで運ぶ乗り物です。人が乗る部分は劣化したため取り外され、今は担ぐための竿だけが残っています。

清見寺は、10万石の大名格とされる格式の高いお寺でした。そのため、とても大きなお駕籠を使うことが許されていたそうです。このお駕籠は、前を4人、後ろを4人、合わせて8人で担ぐものだったといわれています。

清見寺には、江戸時代に200石余りの朱印地がありました。将軍が代替わりすると、朱印地を持つ寺社は江戸城へ行き、更新の手続きをする必要があったそうです。

その際、住職はおそらく、このお駕籠を使って江戸城へ向かったのでしょう。清見寺は、住職が将軍に拝謁できるほど格式のあるお寺だったということです。


波音ちゃん:

前に4人、後ろに4人。8人もの人が担ぐ、大きなお駕籠だったんですね。竿だけでなく、立派なお駕籠の部分も見てみたかったです。

将軍が代替わりするたびに、当時の住職が駿河国から江戸まで挨拶に行っていたことからも、清見寺が当時の日本で、かなり格式の高い重要なお寺だったことがわかります。

それでは、本堂の2階へ上がっていきましょう。

わあ、階段を上ると、目の前にとても見晴らしのよい景色が広がっていますね。


伏見さん:

ここは、清見寺の本堂2階にある「潮音閣(ちょうおんかく)」です。

東から西まで、180度の大パノラマを眺めることができます。今日は雨上がりなので、少し見えにくいところもありますが、右手に日本平、中央に三保の松原、左手に駿河湾と伊豆半島が見えます。


波音ちゃん:

日本平から駿河湾まで一望できますね。

先週のお話では、昔は三保半島が一文字のように見えていたということでした。港が開発された現在でも、十分遠くまで見渡すことができますね。


伏見さん:

眼下に見える道が東海道です。古くから、日本の東西をつなぐ大動脈でした。

江戸時代には、参勤交代で西国の大名が通り、朝鮮通信使や琉球使節もこの道を通りました。

その後、寺の境内の一部を改造し、明治22年には東海道本線が開通しました。昭和31年以降は電化されましたが、それ以前は蒸気機関車が境内を走り抜けていました。

残念ながら、清見寺からは山に遮られて富士山を見ることができません。しかし、少し海上へ出ると富士山が見えます。清見寺の周辺は、そうしたすばらしい景色を楽しめる景勝の地でもありました。


波音ちゃん:

東海道には、昔ながらの道という雰囲気がありますよね。実際に、朝鮮通信使や琉球使節の方々が、ここを歩いて通ったんですね。

今度は、東海道もぶらっとしてみると面白そうです。

これだけ見晴らしがよいのに、ここから富士山が見えないのは少し残念です。もう少し東へ歩けば、海と富士山を一緒に見渡せる景色が待っている。それを楽しみに歩いてください、ということですね。


伏見さん:

50年ほど前までは、清見寺のすぐ近くまで海が来ていました。

その後、貿易を盛んにして日本を豊かにしようという経済政策のもと、港の拡張が行われました。目の前の海が大きく埋め立てられ、港湾施設へ変わっていきました。

さらに、国道1号が手狭になったため、バイパスも造られました。かつてはすぐ近くにあった海が、今ではほとんど見えないほど遠くなっています。


波音ちゃん:

ここから見える清水港の大部分は、もともと海だった場所を埋め立てて造られた土地なんですね。

当時は、どの辺りまで海だったのでしょうか。


伏見さん:

目の前に左へ曲がっていく道がありますね。二つ目の横断歩道の先には岩場や磯があり、そのすぐ先が海でした。

そこから先を大規模に埋め立て、現在の姿になったのです。


波音ちゃん:

本当に、目と鼻の先まで海だったんですね。

以前、興津は別荘地だったというお話がありました。清水港が現在のように開発される前は、すぐ近くに海があり、美しい景色を楽しめたわけですから、ここに別荘を建てたくなるのも納得できます。

現在、清見寺から清水港を見ると、ガントリークレーンや倉庫などが見え、貿易や物流の印象が強くなっています。非日常を味わう別荘地だった頃とは、興津の印象も大きく変わりましたね。


伏見さん:

そうした大きな変化が、今から50年ほど前に起きたということです。

清見寺が東海道の要所にあることは、現在も変わりません。在来線や国道が通り、山の中には東名高速道路と東海道新幹線が、それぞれ清見寺トンネルを通っています。

昔も今も、清見寺は東海道の重要な場所に建っています。

天変地異や戦火によって壊れたり、焼けたりしても、その時代の人々が建て直し、中興しながら歴史をつないできました。最後にしっかりと守ってくれたのが徳川家です。それから、およそ150年後が現在ということになります。


波音ちゃん:

東海道本線、東海道新幹線、国道、東名高速道路。日本の交通を支える大動脈が、すべて清見寺の周りに集まっています。

昔も今も、興津は日本の東西をつなぐ、交通の重要な場所であることがわかりますね。

ところで、2階からの景色に気を取られていましたが、このお部屋には机と椅子が並んでいます。かなり広い空間ですが、もともとはどのように使われていたのでしょうか。


伏見さん:

少し前までは、葬儀後のお斎(おとき)や、法事の後の会食などに使われていました。

現在は外部の施設を使うことが多くなったため、ここで会食をする機会は、ほとんどなくなりました。

とてもすばらしい場所ですから、この景色を見ながら勉強会などができたら幸せですね。


波音ちゃん:

一般の方も使えるお部屋なんですね。

大人数でも入れる広さがあり、窓からの景色もすばらしいので、歴史ある清見寺でイベントや講座を開く際に使うのもよさそうです。私も何かできないか、考えてみたいと思います。

今度は、反対側の窓から清見寺の庭を見てみましょう。上から眺めると、境内の広さがよくわかります。

目の前には鐘楼があり、吊るされている鐘も、ここからよく見えます。


伏見さん:

清見寺は大変格式の高いお寺ですので、梵鐘が鐘楼の2階に吊られています。

この梵鐘は、鎌倉時代の終わり頃に鋳造されたといわれ、現在は静岡県の文化財に指定されています。音の余韻が長く続く、立派な梵鐘です。

天正18年、1590年に豊臣秀吉が小田原城を攻めた際には、韮山城を総攻撃する合図に使うため、この梵鐘を現地まで持っていったそうです。

鐘楼の建物自体は、幕末の文久3年に建て替えられたものです。

一般的な鐘楼とは異なり、鐘が2階に吊られているため、鐘を突く撞木(しゅもく)の動きが制限されます。そのため、清見寺では腰の高さで鐘を突くようになっています。

毎年12月31日には、恒例の除夜の鐘が行われます。


波音ちゃん:

これほど格式の高いお寺の立派な鐘を借りていくとは、かなり大胆ですね。

一般的なお寺の鐘は、頭の高さほどに吊られた撞木で突くイメージがあります。清見寺の撞木は、かなり低い位置にありますね。鐘を突いている姿を想像すると、とても珍しく感じます。

ひと月以上にわたり、清見寺でボランティアガイドをされている伏見さんと一緒にぶらっとしてきましたが、今回で最終回です。

伏見さん、細かなところまで解説していただき、ありがとうございました。一人で訪れただけでは知ることのできない歴史や、建物に隠された特徴を知ることができ、とても楽しかったです。

まだ清見寺を訪れたことのない皆さんも、「ぶらっと清水」で知ったことを、ぜひ現地で実際に確かめてみてください。

清見寺の本堂を拝観する際には、拝観料が必要です。伏見さん、入口にお寺の方がいないときは、どうすればよいのでしょうか。


伏見さん:

清見寺はとても広いお寺ですから、お寺の方に声が届かないこともあります。

入口に呼び出し用の鐘がありますので、そのような場合には鐘を鳴らしてください。


波音ちゃん:

なるほど。さすが規模の大きな清見寺は、呼び鈴のスケールも違いますね。

伏見さん、ありがとうございました。





【観光案内ガイド風】

ようこそ!清水へ!


興津にある清見寺は、東海道の要所に建ち、長い歴史をつないできた格式ある寺院です。本堂や書院だけでなく、境内に残る建築や文化財からも、この地が果たしてきた役割を知ることができます。


本堂の入口から続く通路の上には、大きな黒い棒のようなものが残されています。これは、江戸時代に清見寺で使われていたお駕籠の竿です。人が乗る部分は劣化したため取り外され、現在は担ぐための竿だけが残っています。


清見寺は、10万石の大名格とされる格式を持ち、前後4人ずつ、合わせて8人で担ぐほど大きなお駕籠を使うことが許されていたといわれています。


江戸時代の清見寺には、200石余りの朱印地がありました。将軍が代替わりすると、朱印地を持つ寺社は江戸城で更新の手続きをする必要がありました。その際、住職はこのお駕籠に乗って江戸へ向かったと考えられています。将軍への拝謁が許されるほど、清見寺は格式の高い寺院だったのです。


本堂の2階にある広間は、「潮音閣(ちょうおんかく)」と呼ばれています。窓からは東西に広がる約180度の眺望を楽しむことができ、日本平、三保の松原、駿河湾、伊豆半島までを見渡せます。


清見寺から富士山を見ることはできません。山に遮られているためです。しかし、少し海上へ出ると、駿河湾越しに富士山を望むことができます。かつての清見寺周辺は、海と富士山がつくる景色を楽しめる景勝の地でもありました。


潮音閣から見える東海道は、古くから日本の東西を結んできた大動脈です。江戸時代には、参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球使節がこの道を通りました。


明治22年には、寺の境内の一部を通る東海道本線が開通しました。昭和31年以降に電化されるまでは、蒸気機関車が境内を走り抜けていました。


現在も清見寺の周辺には、東海道本線、国道1号、東海道新幹線、東名高速道路が集まっています。新幹線と高速道路は、背後の山を清見寺トンネルで通過します。交通の形は変わっても、この場所が日本の東西をつなぐ要所であることは変わっていません。


潮音閣から見える景色は、この50年ほどで大きく変化しました。かつては清見寺のすぐ近くまで海が広がり、磯や岩場がありました。現在、清水港の港湾施設が建つ土地の多くは、港の拡張に伴って海を埋め立てたものです。


国道1号のバイパスも整備され、清見寺のそばにあった海は、遠くに感じられるようになりました。ガントリークレーンや倉庫が並ぶ現在の景色からは、貿易や物流の拠点という印象を受けます。しかし、港が開発される前の興津は、海を間近に望む景勝地であり、別荘地としても親しまれていました。


清見寺は、天変地異や戦火によって被害を受けながらも、その時代ごとに再建されてきました。徳川家の保護も受けながら中興を重ね、現在まで歴史をつないでいます。


潮音閣の広間は、以前は葬儀後のお斎や法事後の会食などに使われていました。現在は外部の施設を利用することが多くなり、会食の機会は少なくなっています。大人数が入れる広さがあり、美しい眺望も楽しめるため、講座や催しにも適した空間です。


潮音閣の反対側の窓からは、清見寺の境内と鐘楼を見渡すことができます。清見寺は格式の高い寺院であるため、梵鐘が鐘楼の2階に吊られているのが特徴です。


梵鐘は、鎌倉時代の終わり頃に鋳造されたと伝えられ、現在は静岡県の文化財に指定されています。響きの余韻が長く続く、立派な鐘です。


天正18年、1590年に豊臣秀吉が小田原城を攻めた際には、韮山城への総攻撃を知らせる合図として使うため、この梵鐘が現地へ運ばれたと伝えられています。


現在の鐘楼は、幕末の文久3年に建て替えられました。梵鐘が2階にあるため、鐘を突く撞木の動きが制限され、腰の高さで鐘を突く珍しい構造になっています。毎年12月31日には、恒例の除夜の鐘が行われます。


本堂の拝観には拝観料が必要です。境内が広く、入口に寺の方が見当たらない場合には、入口に設置された呼び出し用の鐘を鳴らしてください。


潮音閣から広がる景色には、海辺の景勝地だった興津の姿と、港湾や交通の拠点へ変化してきた現在の姿が重なっています。清見寺を訪れた際には、建物や文化財とともに、この場所を通り過ぎてきた人々と、移り変わる景色にも思いを巡らせてみてください。



Welcome to Shimizu!

Seikenji Temple stands in Okitsu at a historic crossroads of the Tōkaidō route. Its buildings, architecture, and cultural treasures reveal the important role this area has played over many centuries.


Above the passage leading into the main hall is a long, dark wooden pole. It is the surviving part of a palanquin used by Seikenji during the Edo period. The passenger compartment deteriorated and was removed, leaving only the poles used to carry it.


Seikenji held a rank said to be comparable to that of a daimyō governing a domain of 100,000 koku. This status allowed the temple to use an exceptionally large palanquin, carried by eight people—four at the front and four at the rear.


During the Edo period, Seikenji held more than 200 koku of shogunate-authorized land. Whenever a new shogun succeeded to office, temples and shrines holding such land were required to visit Edo Castle to renew their official grants. The head priest is believed to have traveled to Edo in this palanquin. Seikenji’s head priests were even permitted to meet the shogun, demonstrating the temple’s exceptionally high status.


The large room on the upper floor of the main hall is known as Chōonkaku. Its windows provide a panoramic view extending almost 180 degrees from east to west. From here, the landscape includes Nihondaira, the pine grove of Miho, Suruga Bay, and the Izu Peninsula.


Mount Fuji cannot be seen directly from Seikenji because it is hidden by the surrounding hills. From farther out on the water, however, Mount Fuji can be viewed across Suruga Bay. The area around Seikenji was once celebrated for this magnificent combination of sea, mountains, and distant views.


The Tōkaidō road visible from Chōonkaku has connected eastern and western Japan since ancient times. During the Edo period, daimyō processions, Korean diplomatic missions, and envoys from the Ryukyu Kingdom all traveled along this route.


In 1889, the Tōkaidō Main Line opened through part of the temple grounds. Before the railway was electrified from 1956 onward, steam locomotives passed directly through the grounds of Seikenji.


The area remains a major transportation corridor today. The Tōkaidō Main Line, National Route 1, the Tōkaidō Shinkansen, and the Tōmei Expressway all pass close to the temple. The Shinkansen and expressway run through separate tunnels beneath the mountain behind Seikenji. Although the forms of transportation have changed, this location continues to connect eastern and western Japan.


The landscape seen from Chōonkaku has changed greatly over the past fifty years. The sea once extended almost to the foot of the temple, with a rocky shoreline and tidal shallows nearby. Much of the land now occupied by the facilities of the Port of Shimizu was created by reclaiming the sea during the expansion of the harbor.


The construction of a bypass for National Route 1 brought further changes. The sea, once only a short distance from the temple, now appears much farther away. Today, gantry cranes and warehouses give the landscape the character of an international port and logistics center. Before the development of the harbor, however, Okitsu was known for its beautiful seaside scenery and was popular as an area for holiday villas.


Seikenji has survived natural disasters, warfare, destruction, and fire. Each generation rebuilt and restored the temple, preserving its history over the centuries. The Tokugawa family also provided protection and support, helping Seikenji continue into the present day.


The spacious hall of Chōonkaku was formerly used for ceremonial meals after funerals and Buddhist memorial services. Such gatherings are now usually held at outside facilities, so the hall is used less frequently for this purpose. Its size and panoramic views also make it suitable for lectures and other events.


The windows on the opposite side of Chōonkaku overlook the temple grounds and bell tower. As a sign of Seikenji’s high status, its large bronze bell is suspended on the upper floor of the tower.


The bell is believed to have been cast near the end of the Kamakura period and is now designated as a cultural property of Shizuoka Prefecture. It is particularly admired for its rich tone and long-lasting resonance.


In 1590, when Toyotomi Hideyoshi launched his campaign against Odawara Castle, the bell is said to have been transported to the battlefield and used to signal a general attack on Nirayama Castle.


The present bell tower was rebuilt in 1863, during the final years of the Edo period. Because the bell hangs on the upper floor, the movement of the wooden striker is restricted. As a result, the bell is struck at approximately waist height—an unusual arrangement for a Japanese temple bell. The traditional ringing of the bell on New Year’s Eve takes place here every December 31.


An admission fee is required to enter the main hall. Because the temple grounds are extensive, temple staff may not always be visible near the entrance. In that case, visitors may ring the small calling bell provided there.


The view from Chōonkaku brings together two different landscapes: the former Okitsu, known for its seaside beauty, and the modern port and transportation hub seen today. Seikenji offers a place to discover not only historic architecture and cultural treasures, but also the many people, journeys, and changing views that have shaped this important point on the Tōkaidō.



【放送内容のテキスト文面】


さあ、今週も興津の清見寺をぶらっとしていきますよ。

ボランティアガイドの伏見さん、本日もよろしくお願いします。

先週の放送では、立派な書院からまた本堂の方へと回廊を通って戻ってまいりました。今回は本堂の2階へ進んでいきましょう。

と、その前に。以前、本堂へ入るときには気がつかなかったんですが、入口から本堂へ続く通路の上の方に大きな黒い棒?柱のようなものが飾られているんですが、これはどんなことに使われていたものなんでしょうか伏見さん、教えてください!


これはですね、おかごの残骸。おかごっていうのは肩でかつもの。これはですね、このお寺さんが江戸時代に使ったね、おかごの残骸。乗るところはあるんですけどね、ちょっと劣化したので取り外しましたので、担ぐ竿という部分しかないんですけど、このお寺さんは10万石の大名格というお寺ですのでね、ものすごい大きいおかごを使っていいよって言われてるらしいんですね。だからこのおかごは前は4人、後ろ4人で担ぐ大籠だったらしいんですよ。で、この時代の住職さんは江戸城まで行ける200石余の朱印地。

将軍様が代替わりすると、この朱印地を持ってる方々は江戸城へ行ってね、更新手続きが必要だったらしいんです。更新、免許証じゃないんです。で、その時には多分これを使って行ったんだろうなって思います。更新手続きに行った時には江戸の将軍様に、その時代の住職さん、その時代の将軍様に拝謁できたっていう確信のあるお寺だった。


前に4人、後ろに4人で、8人もの人で担いで運ぶような大きなカゴだったんですね。ぜひその立派なカゴの部分も見てみたかったです。将軍が変わる際に、当時の住職が駿府の国から江戸まで挨拶に行っていたということからも、清見寺というのは当時の日本のお寺の中でもかなり位の高い重要なお寺として考えられていたということがわかりますね。

さあ、では。2階へ上がっていきましょうか。わあ、階段を上ると、目の前にとても素晴らしい見晴らしのいい景色が広がっていますね。


この今、目の前に広がっている景色はですね、東から西、右から左から右へですね、180度大パノラマがね、見える清見寺のお2階、潮音閣(ちょうおんかく)からちょっと皆さんにご案内したいと思います。今日はちょっと雨上がりなもんですからね。ちょっと景色がよく見えない部分があるんですけど、右手の方向は日本平、それから中央が三保の松原、左方向が駿河湾と伊豆半島ということになります。


日本平や駿河湾が一望できますね。先週のお話では、昔は三保半島まで一文字に見えていたということでしたが、港が開発された今でも、十分遠くまで見渡すことができますね。


で、今、目の下に見えるのが東海道。ここがですね、いわゆる古来から日本のね、東西をつなぐ大動脈でしたのでね、江戸時代ではここをですね、参勤交代の西の大名様とかね、朝鮮の通信とか隆起の施設がね、ここを通ったわけです。で、お寺の境内をですね、少しこう改造しましてね、明治22年にはですね、東京から神戸ですかね、、東海道本線が開通したと。昭和31年以降はオール電化になりますけど、それ以前は SL が境内を走り抜けていたと、こういう景色が残っております。残念ながらこのお寺からは富士山が、その山の橋が邪魔になって見えませんが、ちょっと洋上へ出ると日本一の富士山がこういう風に見えると、こういう素晴らしい景勝の地でもあったということになりますかね。


東海道はなんだか昔ながらの道って、感じがしますよね。実際、ここを朝鮮通信使や琉球使節団の方々が歩いて通っていたんですよね。今度、東海道もぶらっとしてみるのもいいかもしれないですね。開けて素晴らしい見晴らしだけど、ここからでは富士山が見えないのはちょっと残念です。もう少し東へ進めば、海と富士山を見渡せる景色が見えてくるので、それを楽しみに頑張って歩け!ということですね。


50年ほど前まではすぐ近くまで海が来ていましたけどもね、貿易を盛んにして日本を豊かにしようっていう経済政策のもとにですね、港の拡大が実施されてですね、ここを大きく埋め立てられましてね、目の前全て港湾施設に変わってしまいました。さらに国道1号が手狭になったということで、バイパスを通しましたのでね、すぐ近くまで海が来ていましたけど、今はもうほとんど、近くに海は見えないほど遠くへ行ってしまったということでございます。


今ここから見える清水港のほとんどはもともと海で、それを埋め立てて作られた土地なんですよね。ちなみに当時はどのあたりまでが海だったんですか。


海はですね、目の前にこの左回りの道が展開してますけども、2つ目の横断歩道の先から岩場があって、磯があって、、もうすぐ海だったんですね。それをこんな風にね、大量に埋め立てして現在に至ってるわけですね。


本当に目と鼻の先まで海だったんですね。以前、興津は昔、別荘地だったというお話がありました。清水港が今のように開発される前は、すぐ近くまで海があって景色が良い場所だったとなれば、、別荘を建てようと思うのも納得です。今では、清見寺から見る清水港は、ガントリークレーンが見えたり、倉庫が見えたり、貿易、物流といった印象が強いので、非日常を味わう場所だった頃の興津の印象とは、大きく変わっていますね。


こういうね、大きな変革がね、今から50年ほど前にはね、起きたよと。で、このお寺が東海道の要衝の地というのは、、在来線、国道、この山の中を東名高速と新幹線がいずれも清見寺トンネルで通ってますから、昔も今もこのお寺さんは大変、東海道の要所の地に存立してますよ。ですから天変地変があって、壊れても、行き下がって焼けてもね、その時代の当初は立て直す、中興していくということで、ずっと時代をつないできて、最後にしっかり守ってくれたのは徳川さん。それから150年後が今ということになります。


東海道線や新幹線、高速道路といった日本の交通網の大動脈と言えるものが、全てここ清見寺の周りに詰まっていますね。昔も今も、興津の地は日本の東西をつなぐ関所として交通の重要なポイントになっているということがわかりますね。ところで、見晴らしの良い2階からの景色に気を取られていましたが、本堂の2階は、机と椅子が並んだかなり広いお部屋になっていますが、そもそもこちらはどういったお部屋なんでしょうか。


このお二階の用途ですね。このお二階はですね、ちょっと前まではね、お葬儀やると祓いの席とか、いわゆる会食をしましたね。法事の後とか。ところが現在は外の施設でやることが多くなりましたので、ここはね、ないことはないんですけど、もう最近ほとんど少なくてですね。

素晴らしいところでね、いいですね。こんな景色が見えるところでね、お勉強会とかできたらね、幸せですね。はい。


一般の方が使えるお部屋なんですね。結構大人数でも入れるような広さで、かつ窓から見える景色も素晴らしいので、歴史ある清見寺で何かイベントや講座などを開催する際に使ったら良さそうですね。私も何かできないか、考えてみます。今度は反対側の窓から清見寺のお庭を見渡してみましょう。上から見るとその広さがよくわかりますね。目の前には鐘楼があって、吊るされている鐘がこの2階からはよく見えます。


このお寺は大変に格式が高いお寺ですのでね。梵鐘は2階に吊ってあると、こういう形式です。このお寺の梵鐘はですね、鎌倉時代の終わりくらいに鋳造されたという、今は静岡県の文化財になってます。大変余韻をよく引く立派な梵鐘でございます。古くはですね、天正18年ですね、 1590年秀吉公がね、小田原城を攻める時に、小田原攻めってやる時にですね、出城の韮山城の総攻撃するという時にですね、この梵鐘を現地へ重用して持って行って、総攻撃の合図に使ったんだそうです。

この建物自体は文久3年という時代ね。本当に幕末ですね。まだ建て替えられたお2階。この2階に吊ってあるので、左で吊ってあるとは違う、この朱目突く盆がですね、自由度がちょっと制限されますので、このお寺の梵鐘は腰の高さで打つ。そういう位置になっております。12月31日には恒例のですね、除夜の鐘ということがですね、毎年恒例によくなっております。


結構格式の高いお寺の立派、こんな鐘を借りていくなんて、かなり大胆なことをしますね。一般的なお寺の鐘というと、頭のあたりの高い位置に吊るされた棒で、突いて鳴らすというイメージでしたが、清見寺のつく棒は結構低い位置にありますね。鳴らしている姿を想像すると、かなり珍しい気がします。


さあ、ひと月以上にわたって清見寺でボランティアガイドをされている伏見さんと一緒にぶらっとしてきましたが、それも今回で最終回です。伏見さん、とても細かい解説ありがとうございました。一人で来ていたら絶対に知ることができなかった歴史や隠された要素など、、とても楽しかったです。まだ清見寺へ来たことのない皆さん、このぶらっと清水で学んだことを現地へ実際に見に行ってみてください。ちなみに本堂に入るのは有料となっています。藤見さん、入る際にお寺の方が近くにいなかった時にはどうしたらいいですか。


こんなお寺さんってすごく広いもんですからね。お寺の方が聞こえない部分も場合もありますのでね、皆さんはここにですね、鐘がありますのでね、そういう場合はこの鐘をね、叩いてください。


なるほど、さすが規模の大きい清見寺は呼び鈴のスケールも違いますね。

はい、ありがとうございました。

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