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松浦源太郎成清(しげきよ)と恋塚について / Matsuura Gentarō Shigekiyo and the Love Mound
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第八話 信康公菩提寺、江浄寺を訪ねて 3.松浦源太郎成清(しげきよ)と恋塚について http://www.isobekaikei.jp/pages/264/ 松浦源太郎成清(しげきよ)と恋塚について 信康公の五輪塔の近くには、もう一つの物語を伝える塚があります。江浄寺に残る「恋塚」です。 寛永元年五月二十四日、九州平戸の松浦家に生まれた松浦源太郎成清は、江浄寺の一室で切腹したと伝えられています。成清には春姫という許嫁がいましたが、成清が江戸詰めをしている間に、兄の松浦肥前守隆信が春姫を側室にしてしまうのではないかと心配しました。そこで成清は、兄の大名行列を追いかけ、江尻宿で追いつきました。 しかし、黙って江戸を抜け出すことは大きな罪でした。松浦家が取り潰しにならないように、成清は切腹することになります。成清は覚悟を決め、松浦家のために命を絶ったと伝


徳川信康公の話 / The Story of Tokugawa Nobuyasu
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第八話 信康公菩提寺、江浄寺を訪ねて 2.徳川信康公の話 http://www.isobekaikei.jp/pages/263/ 徳川信康公の話 江浄寺は、徳川家康の長男・信康公にまつわる悲劇を伝える寺として知られています。 信康公は岡崎城を本城としていたことから、岡崎三郎信康と呼ばれていました。「信」は織田信長から、「康」は徳川家康から取った名とされています。信康公は信長の娘・徳姫を妻とし、家康の長男として、徳川家を継ぐ立場にありました。 しかし、信康公と母の築山御前が武田家に内通したという疑いが持たれます。そのことは、徳姫が織田信長へ送った十二か条の手紙に書かれていたとされます。信康公はそのうち二か条について弁明できず、信長の命により切腹することになったと伝えられています。 信康公は天正七年九月十五日、二十一歳で、幽閉先の二俣城で切腹しました


江尻宿の中心、江浄寺を訪ねて / Visiting Kōjōji Temple, the Center of Ejiri-juku
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第八話 信康公菩提寺、江浄寺を訪ねて 1.江尻宿の中心、江浄寺を訪ねて http://www.isobekaikei.jp/pages/262/ 江尻宿の中心、江浄寺を訪ねて 江浄寺を訪ねる前に、旧東海道を少し歩いてみます。国道一号線から旧東海道へ分かれるあたりには「細井の松」があります。江戸時代には、ここに四百五十メートルほどの松並木が続き、東には清見潟や三保松原を望むことができ、旅人にとって休息の場であったと伝えられています。 旧東海道を進むと、「秋葉道入口」、辻一里塚と高札場の跡、江尻宿東木戸跡へとたどることができます。さらに鍛治町・鋳物師町には、戦国時代、江尻城の城下町が形成されたころ、武田信玄が鍛冶職人や鋳物師を集めて住まわせたと伝えられています。 伝馬町を通り、現在の清水銀座通りにあたる志茂町、仲町、魚町へ進むと、かつての江尻宿の中心に


龍津寺(りょうしんじ)を訪ねて / Visiting Ryōshinji Temple
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第七話 小島藩の痕跡を求めて 5.龍津寺(りょうしんじ)を訪ねて http://www.isobekaikei.jp/pages/254/ 龍津寺(りょうしんじ)を訪ねて 酒瓶神社と対になって小島陣屋を守ったとされる寺に、国道52号線沿いの古刹「龍津寺」があります。「龍津寺」と書いて「りょうしんじ」と読み、禅寺として地域に伝わってきました。 龍津寺は、小島藩の殿様と深い関わりを持つ寺です。歴代藩主の墓所は江戸にありましたが、遠くて簡単には参ることができなかったため、この寺で花を供え、香を焚いて供養したといいます。そのため、龍津寺は藩主にとっての香華寺としての役割を担っていました。 本堂には釈迦如来が祀られ、高い場所には歴代藩主の位牌が安置されています。また、三代藩主・松平昌信公が白隠禅師から講話を受けたと伝えられる台も残されています。昌信公は三歳で


藩主書院建物を訪ねて / Visiting the Lord’s Shoin Residence
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第七話 小島藩の痕跡を求めて 4.藩主書院建物を訪ねて http://www.isobekaikei.jp/pages/253/ 藩主書院建物を訪ねて 小島陣屋の中心にあった書院は、もとは小島領主の居宅として使われていました。廃藩置県の後は、小学校の職員室兼校長室となり、その後も地域の公会堂や青年団の夜警詰所などとして使われてきました。現在は国道52号線沿いに移築され、市の有形文化財として、また小島陣屋の資料館として活用されています。 この建物は、昭和三年に陣屋跡から現在地へ移築されました。多少の改装はありますが、宝永元年(一七〇四)に建てられた当時の姿をおおむね残しているといいます。奥には殿様の書院があり、右側には仏間、また殿様の私的な部屋も設けられていました。 建物の中央には、十畳と十畳に分かれた空間があります。ここは殿様、家老、家臣たちが集ま


小島陣屋跡から見た風景 / The View from the Ruins of Kojima Jinya
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第七話 小島藩の痕跡を求めて 3.小島陣屋跡から見た風景 http://www.isobekaikei.jp/pages/260/ 小島陣屋跡から見た風景 小島陣屋跡の石垣の上に立つと、小島の町から興津川のあたりまでを見渡すことができます。この場所が甲州口の要衝であったことが、眺めの広がりからもよく分かります。甲州方面から下ってくる道は、承元寺と谷津の間で狭くなり、ここを通らなければならなかったといいます。そのため、関所のような役割を持つ場所として、小島陣屋が重要視されたと伝えられています。 近くには、かつて武田方の山城があった山も見えます。また、上流の方には「陣馬山」と呼ばれる丸い山があり、のろしによって情報を伝え合ったとされ、現在ものろし台が残っているといいます。この一帯が、かつて軍事的に重要な場所であったことを示しています。...


小島陣屋跡を訪ねて / Visiting the Ruins of Kojima Jinya
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第七話 小島藩の痕跡を求めて 2.小島陣屋跡を訪ねて http://www.isobekaikei.jp/pages/252/ 小島陣屋跡を訪ねて 酒瓶神社を出て細い道へ入ると、小島陣屋の正門、大手門の方向へ向かいます。住宅地の間を進むと、かつて馬場だった場所の石垣が見えてきます。石は切り込みを入れてきちんと組み合うように加工されており、「切り込み接ぎ」と呼ばれる積み方が確認できます。 さらに表門の方へ進むと、左手には沢があります。この沢は堀の代わりをしていたもので、小島陣屋は自然の地形をうまく利用して造られていたことがわかります。宝永元年(一七〇四)に築かれ、六か月という短期間で完成したと伝えられています。 道沿いには、虎口の石垣も残されています。虎口とは、敵が入りにくいように通路を曲げて造る出入口のことです。ここでは道が鍵形に曲がり、入口付近に


酒瓶(さかべ)神社を訪ねて / Visiting Sakabe Shrine
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第七話 小島藩の痕跡を求めて 1.酒瓶(さかべ)神社を訪ねて http://www.isobekaikei.jp/pages/251/ 酒瓶(さかべ)神社を訪ねて 国道52号線から脇道を上った先に、酒瓶神社があります。「酒瓶」と書いて「さかべ」と読むこの神社は、もとは山の上にありましたが、武田勢によって焼失し、その後、字天神と呼ばれる場所へ移され、さらに現在の場所へ移されたと伝えられています。 この場所は、小島陣屋の書院から見て丑寅、つまり鬼門にあたる方角にあり、小島陣屋の守り神としての役割も担っていたとされています。今回は、小島町文化財を守る会の久保田顯弘さんに案内していただきました。 境内にある手水鉢は、調査によって江戸時代の書物『古今碑銘類集』に絵と記述があることが分かったものです。そこには、村人たちが浄財を集め、力を合わせて造ったことが記さ

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