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山岡鉄舟と次郎長 / Yamaoka Tesshū and Jirochō
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第五話 望岳亭・藤屋 3.山岡鉄舟と次郎長 山岡鉄舟と次郎長 望嶽亭・藤屋に、明治維新の大きな動きが突然訪れたのは、慶応四年三月七日の夜と伝えられています。 鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は、恭順の意思を示し、上野寛永寺で謹慎していました。一方、新政府側では、慶喜の切腹や徳川家の廃絶を求める強い意見もありました。江戸が戦場となるかもしれない緊迫した状況の中で、のちに勝海舟と西郷隆盛の会談が行われ、江戸城無血開城へとつながっていきます。その前段として重要だったのが、山岡鉄太郎、のちの山岡鉄舟と西郷隆盛による駿府会談でした。 徳川慶喜から全権を委ねられた勝海舟は、山岡鉄舟を使者として西郷隆盛のもとへ送りました。その途中、鉄舟は薩埵峠で官軍に誰何され、望嶽亭・藤屋へ逃げ込んだと伝えられています。当時の当主である二十代目は鉄舟を助け、奥の蔵座敷で漁師の姿


望岳亭・藤屋を訪ねて / Visiting Bōgakutei Fujiya
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第五話 望岳亭・藤屋 2.望岳亭・藤屋を訪ねて 望岳亭・藤屋を訪ねて 由比駅から薩埵峠のふもとへ向かう道の途中、街道が上りにかかる手前に、古い建物が残っています。「望嶽亭・藤屋」です。背後に蔵を備えたこの家は、古くからこの地にあり、現在の当主で二十三代になるといいます。 望嶽亭は、約五百年前からこの地に続く家で、もともとは地主の家でした。このあたりではアワビやサザエが多く取れ、それを味わいながら富士山を眺める場所として、室町時代には「望嶽亭」の看板を掲げていたと伝えられています。 江戸時代に宿駅制度が整うと、由比宿と興津宿の間にある倉沢地区は「間の宿」となりました。望嶽亭・藤屋は、茶亭であり、脇本陣の役割も持ち、さらに山の仕事や網元としての仕事も行っていました。当時は、いくつもの仕事を組み合わせながら、多くの人が暮らしていた家だったそうです。...


由比駅から望岳亭・藤屋を目指して / From Yui Station to Bōgakutei Fujiya
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第五話 望岳亭・藤屋 1.由比駅から望岳亭・藤屋を目指して http://www.isobekaikei.jp/pages/241/ 由比駅から望岳亭・藤屋を目指して 由比駅から望岳亭・藤屋へ向かう道は、由比の町並みをゆっくり味わいながら歩く散策路です。清水駅から熱海行きの電車に乗り、由比駅で降りると、そこから薩埵峠方面へ歩いて望岳亭・藤屋を目指します。途中には「日本一桜えびの町 由比」と書かれた看板も見られ、桜えびの町としての由比らしさが感じられます。 望岳亭は、室町時代末期にはすでに名所図絵にその名を残していたとされる場所です。江戸時代には、由比と興津の間にある「間の宿」として知られるようになりました。茶亭藤屋の離れ座敷から富士山を望む景色がすばらしかったことから、「望岳亭」と呼ばれるようになったと伝えられています。旅の文人墨客も多く滞在したと


広重美術館を後にして / After Leaving the Hiroshige Museum
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第四話 由比本陣公園と由比の歴史 7.広重美術館を後にして http://www.isobekaikei.jp/pages/235 広重美術館を後にして 御幸亭(みゆきてい)の茶室には、由比の人々の暮らしに通じる名前が付けられています。その名は「結仁斎(ゆいじんさい)」。この「結」という字には、かつて由比で行われていた共同作業の意味が込められているそうです。 昔、由比で塩作りを行う際には、近所の人たちが集まって一軒の家を手伝い、それが終わると次の家を手伝いました。田植えなどでも見られる「結いをとる」という助け合いの形です。由比という地名についても、案内人の望月さんは、仲間の活動では「由比」の「由」ではなく、「結ぶ」の「結」を使っていると話していました。 「結仁斎」という名には、人と人を結ぶという意味が重ねられています。かつて大名が泊まる本陣であった


静岡市東海道広重美術館に案内されて / Guided Through the Shizuoka City Tōkaidō Hiroshige Museum of Art
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第四話 由比本陣公園と由比の歴史 6.静岡市東海道広重美術館に案内されて http://www.isobekaikei.jp/pages/234 静岡市東海道広重美術館に案内されて 由比本陣の土蔵があった場所には、現在「静岡市東海道広重美術館」が建っています。学芸員の大石沙織さんによると、この美術館は全国に四つある「広重美術館」の中で最も古く、最初に「広重美術館」の名を冠した美術館です。収蔵品は浮世絵を中心に千四百点弱あり、毎月展示替えを行いながら、さまざまな展覧会を開いています。 歌川広重は、江戸時代の浮世絵師の中でも「六大浮世絵師」に数えられる人物です。六大浮世絵師とは、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重を指します。広重は生涯に数えきれないほど多くの作品を残したとされ、現在も新たな作品が見つかる可能性があるといいます


回遊式庭園を案内されて / Guided Through the Garden Admired by Yamaoka Tesshū
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第四話 由比本陣公園と由比の歴史 5.回遊式庭園を案内されて http://www.isobekaikei.jp/pages/227 回遊式庭園を案内されて 山岡鉄舟も絶賛したと伝えられる庭園へ、今回は特別に案内していただきました。ここは普段は自由に入ることができず、回遊式庭園は座敷に上がって眺める形になっています。場所は、明治天皇が三度立ち寄ったとされる「御幸亭」の裏側です。 この庭園は、狭いながらも回遊式の造りで、小堀遠州が設計したものと伝えられています。右側には石段のような部分があり、そこをめぐって降りてくる構成になっています。池の中島には、先ほど紹介された細石があります。一見すると大きな岩のようですが、小さな石が長い年月をかけて固まり、一つの石のようになったものです。 庭園全体は小山のような立体感があり、庭の外にある景色を背景として取り込む


松榧園(しょうひえん)に案内されて / Guided Through Shōhien Garden
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第四話 由比本陣公園と由比の歴史 4.松榧園(しょうひえん)に案内されて http://www.isobekaikei.jp/pages/226 松榧園(しょうひえん)に案内されて 由比本陣公園の中を進むと、美術館の前に水路があります。この水は由比川の上流から引かれており、池へとつながって庭園の水源になっているそうです。公園の中にある水の流れも、由比川とのつながりを持つものとして見ることができます。 美術館の前には、現在、小さな黒松が植えられています。かつてここには、徳川家康のお手植えと伝えられる松がありました。その松は県指定の松となっていましたが、昭和55年に枯死しています。案内によれば、直径三メートル、樹高五メートル、東西の枝ぶり二十七メートルという大きな松だったそうです。 また、園内には榧の木もあります。本来の榧は落雷で倒れてしまいましたが、


由比本陣の中に入って / Entering the Yui Honjin Site
本ページは清水区の森田いそべ会計様のご許可をいただき、清水にまつわる下記のお話を編集してご紹介しております。 清水歴史散策(I)http://www.isobekaikei.jp/pages/219/ 第四話 由比本陣公園と由比の歴史 3.由比本陣の中に入って http://www.isobekaikei.jp/pages/225 由比本陣の中に入って 立派な門をくぐると、分厚い両開きの木の扉が迎えてくれます。扉には鋲が打たれ、由比本陣の格式を感じさせる造りになっています。この門は、当時の姿をもとに復元されたものです。 由比本陣は、外から中が見えにくい「遮蔽型」の本陣とされています。現在は公園として整備されていますが、庭に据えられている石灯籠は当時のものです。玄関から数えると十六基あり、由比川で良い石が取れたこともあって、公園内には多くの石が配置されています。 遮蔽の塀の内側には石積みも残されています。馬の水飲み場の塀を挟んだ裏側にあたる場所で、かつてはここから由比川を渡る参勤交代の列を確認できたといいます。当時は高い建物がなかったため、行列が川

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